崇道天皇社

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崇道天皇社

崇道天皇社
所在地 奈良県奈良市西紀寺町40
位置 北緯34度40分23.99秒 東経135度50分00.90秒 / 北緯34.6733306度 東経135.8335833度 / 34.6733306; 135.8335833 (崇道天皇社)座標: 北緯34度40分23.99秒 東経135度50分00.90秒 / 北緯34.6733306度 東経135.8335833度 / 34.6733306; 135.8335833 (崇道天皇社)
主祭神 崇道天皇(早良親王
社格 旧村社・神饌幣帛料供進社
創建 (伝)平城天皇大同元年(806年
本殿の様式 一間社春日造桧皮葺
別名 紀寺天王
例祭 10月15日
地図
崇道天皇社の位置(奈良市内)
崇道天皇社
崇道天皇社
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崇道天皇社(すどうてんのうしゃ)は、奈良県奈良市西紀寺町にある神社旧社格村社神饌幣帛料供進社[1]

紀寺天王とも呼ばれ、かつては璉珹寺紀寺)の鎮守として祀られた[2]。同寺東北に鎮座。薬師堂町の御霊神社とともに南都二大御霊社とされる[3]

歴史[編集]

平城天皇大同元年(806年)の草創と伝わる[2][4]

五條市の藤井家に蔵される長禄2年(1458年)の「霊安寺御霊大明神略縁起私記」によると、『又奈良ノ南里ノ紀寺ノ天王ト申スモ、崇道天皇ニテマシマスナリ』とあり、怨霊を鎮めるために祀った御霊神社の一つである[5]。南都八所御霊の一座として御霊会が行われる[2]

大乗院寺社雑事記」の応仁2年(1468年)10月15日の条には、春日大社末社であり本地弥勒菩薩であると記されている[2][5]

境内[編集]

重要文化財である本殿は、桃山時代創建と推定される春日若宮本殿を、元和9年(1623年)に移建したものである[4][2][5]。現在は南面するが、1875年明治8年)までは鳥居、表門をくぐると真正面の向き、すなわち西向きであった[4]

境内社は祓戸社天満宮稲荷社の3社で、神社明細帳(明治24年)によると、春日社も他の二社とともに独立してまつられていたが、現在は祓戸社と相殿になっている[4]

神楽殿安政2年(1855年)の再興で、斎館1940年昭和15年)の竣工[4]神輿庫には享保2年(1717年)ごろ修理された古い神輿があり、秋祭礼に用いられる[4]

この他、1520平方メートルほどの広い境内には、春日見の腰掛石やあちこちに巨木が残っている[4]

祭神[編集]

祭神早良親王は、天応元年(781年皇太子となったが、藤原種継暗殺に連座した疑いを受け延暦4年(785年)に廃嫡された[2]淡路国に配流の途上、49歳で薨去[2]。淡路国にて葬られたが、怨霊を鎮めるために崇道天皇の諡号を追贈し、御骨は大和国八島陵に改葬し、また本社の祭神として祀ったとされる[2]

境内社[編集]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 本殿

その他の文化財[編集]

出典[編集]

  1. ^ 奈良県史 第5巻 神社、p.22
  2. ^ a b c d e f g h 奈良県史 第5巻 神社、p.267
  3. ^ 奈良県史 第5巻 神社、p.265
  4. ^ a b c d e f g h 奈良市史 社寺編、p.87
  5. ^ a b c 日本歴史地名大系. 第30巻 (奈良県の地名)、p.520

参考文献[編集]

  • 池田源太宮坂敏和、奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。ISBN 462601335X 
  • 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年、87頁。 
  • 『日本歴史地名大系. 第30巻 (奈良県の地名)』平凡社、1981年、520頁。 

関連項目[編集]