崇福寺跡

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「崇福寺旧址」碑

崇福寺跡(すうふくじあと)は、滋賀県大津市にある飛鳥時代後期から室町時代にかけて存在した寺院の遺跡。崇福寺は、668年天智天皇の命により近江大津宮の北西の山中に建立され(『扶桑略記』ほか)延暦年間に十大寺に選ばれるなど栄えたが、たびたび火災にみまわれるなど衰退し、一時園城寺に付嘱したものの山門寺門の抗争に巻き込まれるなどし、室町時代には廃寺となった。寺跡は1928年(昭和3年)からの発掘によって確認。現在の跡は梵釈寺桓武天皇が天智天皇追慕のために建立)との複合遺跡と考えられている。国の史跡歴史的風土特別保存地区に指定されている。

位置[編集]

比叡山南麓、大津市滋賀里の3つの尾根上に位置する。 「日本後紀」に嵯峨天皇が、平安京から山中越をして崇福寺に立寄り、近くの梵釈寺に寄って湖上唐崎あたりを遊覧したとあり、このあたりと推定されていた。

遺跡[編集]

史跡崇福寺跡は、3つの尾根に主要建物跡が存在するが、北尾根の金堂(弥勒堂)、講堂、中尾根の小金堂、三重塔が崇福寺の遺跡であり、南尾根の建物跡は、梵釈寺の遺跡であると考えられている。1938年(昭和13年)の調査において、三重塔跡の塔心礎に穿たれた小孔から納置品が発見された。納置品のうち、仏舎利を納める舎利容器は、四方に格狭間のある台を付けた金銅製の外箱、銀製の中箱、金製の内箱の三重の箱に納められていた。金製内箱の内側には瑠璃壺を安置するための受花があり、その上に金の蓋をした高さ3.0cm、口径1.7cmの球形の瑠璃壺と三粒の舎利が納められていた。その周囲からは、瑠璃玉・硬玉丸玉・金銅背鉄鏡・無文銀銭・水晶粒・銅鈴・金箔木片などが伴出している。これらの出土品は、奈良時代の舎利の奉安状態が知られる貴重な遺品であり「崇福寺塔心礎納置品」として一括して国宝に指定されている。(近江神宮所蔵。京都国立博物館に寄託)。現在、南尾根(梵釈寺跡)の金堂跡に「崇福寺旧址」の石碑が建てられている。

文学[編集]

穂積皇子に勅して、近江の志賀の山寺に遣はす時に、但馬皇女の作らす歌一首」

後(おく)れ居(ゐ)て 恋ひつつあらずは 追ひ及(し)かむ 道の隈(くま)みに 標(しめ)結(ゆ)へ我が背(せ)

「寺は壺坂笠置法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山粉河志賀

周辺の関連遺跡[編集]

井上靖の「星と祭」に登場。

参考文献[編集]

  • 肥後和男 『大津京阯の研究』(滋賀県史蹟調査報告第2冊、1929年)
  • 柴田實 『大津京阯』下(滋賀県史蹟調査報告第10冊、1941年)
  • 福山敏男 「崇福寺と梵釈寺の位置」(『日本建築史研究』、墨水書房、1973年)
  • 櫻井信也 「崇福寺(志賀山寺)の造立に関する問題」(『大谷大学大学院研究紀要』第5号、1988年)
  • 櫻井信也 「志賀山寺の「官寺」化と仏事法会」(横田健一編 『日本書紀研究』第20冊、塙書房、1996年)
  • 梶原義実 「最古の官営山寺・崇福寺(滋賀県)」(『佛教芸術』第265号、2002年)

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度2分43.9秒 東経135度50分46.2秒 / 北緯35.045528度 東経135.846167度 / 35.045528; 135.846167