島田晴夫

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島田 晴夫(しまだ はるお、1940年12月19日 - )は、日本マジシャン四つ玉出し、傘出し、ドラゴンイリュージョンといった演技で知られる。東京都出身。現在はハリウッド在住。

経歴[編集]

15歳のとき、デパート手品の実演販売を見て、マジックを始めるようになる。その後、初代引田天功と出会い、彼に誘われてテンヨーのディーラー(実演販売する人)として働くようになった。当時は高校生だったため、昼は実演販売をして、夜は学校に行っていた。高木重朗と親交があり、彼からも奇術を習っていた。

17歳のころ、アメリカから帰国した石田天海四つ玉の演技を認められ、週に1回の頻度で習いに行くようになる。19歳のときに昭和天皇の還暦祝いでマジックを披露した。

1960年頃になると、映画『ヨーロッパの夜』が公開され、そこでのチャニング・ポロックの鳩出しの演技が日本のマジシャンの間で話題になる。チャニング・ポロックはそこで7羽の鳩を出していたが、松旭斎天洋に「10羽出せたらリサイタルを開いてやる」といわれたため島田は本当に10羽の鳩を出現させるルーティンをつくり、約束通りにリサイタルを開いてもらった。

その後も鳩出しの演技は大きな支持を得て、米軍キャンプキャバレーなどの仕事で十分な収入を得ることができたが、1965年には日本を離れ、それ以降は主にオーストラリアイギリスメキシコなどの日本国外で活動するようになる。イギリス滞在時には、四つ玉・鳩出し・ミリオンカードといった日本でおなじみの演目ではなかなか評判を得ることができず、「なぜ日本人らしい演技をしないのか」といわれたことから、和傘を出すルーティンを開発し、メキシコでまとめあげた。

マジックキャッスルで演技を終えたあと、すでに引退していたチャニング・ポロックからビバリーヒルズの彼の邸宅に誘われ、その後ポロックは島田のマネージャーとなった。しかし、ポロックから島田は「傘出しのルーティンは美しいがガッツが無い」との指摘を受ける。そのころ大阪日本万国博覧会が催されており、そこで石見神楽八岐大蛇に触発され、架空の動物などのファンタジックな要素をルーティンに組み入れたいと考えた。その後2年の歳月をかけて、ドラゴンを登場させたイリュージョン(ドラゴンイリュージョン)を開発し、ラスベガスなどで長期にわたって演じ続けた。

また、1973年にはフランスオリンピアで開催されたFISM国際大会のガラショーに出演している。

1974年にマジックキャッスルが優れたマジシャンに贈る「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

参考文献[編集]

  • 島田晴夫・藤山新太郎 「対談 各界のマジシャン登場」『ザ・マジック Vol.61』 東京堂出版、2004年、14-22頁。
  • 島田晴夫・藤山新太郎 「対談 各界のマジシャン登場」『ザ・マジック Vol.62』 東京堂出版、2004年、11-20頁。