島田奈央子
島田 奈央子 | |
---|---|
出生名 | 島田 奈央子 |
別名 | 島田 奈美 |
生誕 | 1971年2月1日(52歳)、東京都目黒区三田厚生中央病院[1] |
出身地 |
![]() |
学歴 | 山崎学園富士見中学校・高等学校卒業 |
ジャンル | J-POP、ジャズ |
職業 | 音楽ライター、ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー |
活動期間 |
1974年 - 1976年(子役モデルとして活動) 1984年 - 1990年(島田奈美の芸名でアイドルとして活動) 1991年 - 現在(音楽ライター、ディスクジョッキーなどで活動) |
レーベル |
コロムビアミュージックエンタテインメント EPICソニー EMIミュージック・ジャパン Pヴァイン・レコード |
事務所 | ヒップランドミュージックコーポレーション(1996年 -) |
共同作業者 | 杉山洋介、寺田創一、平井景 |
公式サイト | https://naoko-shimada.net/ |
島田 奈央子(しまだ なおこ、1971年2月1日 - )は、日本の音楽ライター、ディスクジョッキー。10代の頃は島田奈美(しまだ なみ)の芸名でアイドルとして活動していた。 東京都出身。私立富士見中学校・高等学校卒業。血液型はO型。
来歴[編集]
芸能界デビュー前[編集]
- 1971年
- 2月1日、東京都目黒区三田厚生中央病院で生まれる。体重:3480g、体長:51cm、血液型:O型[1]。
- 1974年
- 練馬区中村の南蔵院幼稚園入園[1](現在は無い)。この頃、祖父母や母と代々木公園に遊びに行った時に、子どもモデルとしてスカウトされる。小林脳行の「モス・ボックス」などのCMにも出演したが、父親に「子どもらしさがなくなる」と言われ、2年半後にモデル活動を辞める。
- 1977年
- 練馬区立の小学校に入学。「劇団あすなろ」に入りたいと父親に相談するが反対をされて断念。小学生時代は書道、剣道、ギター、手話などを習う。
- 1979年
- スキーで左ひざに大怪我を負う。
- 1983年
- 練馬区中村の私立富士見中学校入学。中学に入学してから、テニス部やバレーボール部に入部するが体力的に難しいと医者に諭されて断念、退部する。
- 1984年
- 中学2年の時、本人を含めた家族5人でTBS系のクイズ番組『クイズ100人に聞きました』に出場し勝利を収めてハワイ旅行を獲得した。その収録で司会の関口宏が「(プロフィールに)芸能人になりたいなって書いてあるね」と言ったことがそのまま放送されたため、番組を見た幾つかの芸能事務所から誘いがあったが、検討するに留めてしまった[注釈 1]。
アイドル歌手時代[編集]
島田 奈美 | |
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出生名 | 島田 奈央子 |
生誕 | 1971年2月1日(52歳)、東京都目黒区三田厚生中央病院[1] |
出身地 |
![]() |
学歴 | 山崎学園富士見中学校・高等学校卒業 |
ジャンル | J-POP、アイドル |
職業 | アイドル |
活動期間 | 1984年 - 1990年 |
レーベル | 日本コロムビア |
事務所 | メリーゴーランド(1985年 - 1990年) |
共同作業者 | 杉山洋介、寺田創一、ラリー・レヴァン |
アイドル歌手時代には、シングル14枚、オリジナルアルバム10枚をリリース。一部の曲では本名の「島田 奈央子」名義で作詞も手がけていた。後期は、ダンスミュージックを意識した楽曲が多く、ノンストップリミックスのアルバムもリリースしている。
- 1984年
- 映画『パンツの穴 花柄畑でインプット』のオーディションに応募し、準優勝。 同映画に本名名義で出演。
- 1985年
- 雑誌「Momoco」3月号に登場、桃組出席番号1078。西村知美、杉浦幸と共に「桃組3人娘」と呼ばれるようになる。
- サンヨー食品「サッポロ一番みそラーメン」CM出演。
- 東京池袋のサンシャイン60で開催したモモコ・パーティーで西村知美、杉浦幸と共にと共にウエディングドレス姿を披露。
- 1986年
- 島田 奈美(しまだ なみ)の芸名で、アイドルとしてデビュー。デビュー当時のプロフィールは、「身長161cm、体重44kg、B80W60H83、足23cm」。キャッチフレーズは「スイートでキュートな15歳」。所属事務所は「メリーゴーランド」。
- 4月から7月にかけて、TBS系ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」にて、とんねるずの木梨憲武演じる平田正美の妹「平田奈美」役でテレビドラマデビュー。この1作を機に他局系列のドラマへの出演も有力かと思われたが、実現せず。
- 5月3日から5月11日にかけて“ファンの集い“を開く。
- 5月21日、コロムビアレコードより『ガラスの幻想曲(ファンタジー)』で歌手デビュー。しかし新人賞にはノミネートされず。
- 1987年
- 2月、4thシングル『Free Balloon』が、同月26日「ザ・ベストテン」、翌月3月2日「歌のトップテン」に初ランクイン。代表曲で6th『パステルブルーのためいき』など含めて4~5曲が翌年1988年上半期までランクインした(なお、「ザ・ベストテン」では9th『NO!』が最後だった)。
- ファーストコンサートを大阪サンケイホール、日本青年館などで開く。
- 8月29日、日比谷野外音楽堂にて「Momoco Party 桃娘大好き! あたりまエッ!!」MCを担当。
- 1988年
- ラジオ番組「奈美のFLYING TEAPOT」放送開始。契約上の理由からか、引退後の1990年9月まで続いた(BSN 新潟放送など多数のネット局では、島田の引退する1990年7月いっぱい、あるいはその前の月まで放送された局もあった)。
- 1990年
- 7月30日、MZA有明のファイナルコンサートを最後に、自らの意思でアイドルを引退。自身の出演したラジオ番組(先述の「~FLYING TEAPOT」、「小堺一機のヤングプラザ」など)でも、1ヶ月ほど前にその引退を伝達している。
- 2016年
- 2月、オーダーメード型CD「MEG-CD」の80年代アイドル告知ポスターに「ガラスの幻想曲」のジャケットが採用され、全国のサークルKサンクス店頭に掲示された。
音楽ライター、プロデューサーとして[編集]
アイドル歌手としての引退後、『CDジャーナル』『スイングジャーナル』などの音楽雑誌でCDアルバムを紹介する記事などを担当した[2]。当初はF1雑誌の記者になろうと考えており、『Racing On』などのモータースポーツ誌に問い合わせたが、「アルバイトで雑用なら可」と言われ、しかも時給が600円で上がらないという説明を受けたために断念したという[3]。その後、元事務所関係者より『CDジャーナル』のCD評の仕事を紹介してもらったことをきっかけに[4]、音楽ライターとして歩み始めた。現在は、音楽ライターの他に、DJ、音楽イベント、CDのプロデュースも行っている。
- 1992年
- この頃より音楽に関する文筆、ラジオパーソナリティ、クラブのDJなどで活躍。当初は完全にフリーランスであった[2] が、1996年からはプロダクション「ヒップランドミュージックコーポレーション」に所属[2]。
- 2007年
- 10月、ソウル・ミュージックやクラブジャズなどといったジャンルを中心に、音楽雑誌などで執筆活動をするほか、インターネットラジオなどにも出演している。 NIKKEI NET内にあるITニュースサイト「IT+PLUS」において『島田奈央子のジャズライフ』を連載した。
- 2012年
- 平井景がプロデュースする信州の風景にこだわった音楽を発信するプロジェクト「信州ジャズ」に副プロデューサーとして参加。2012年12月8日にアルバム「Field」、2014年11月30日にアルバム「Gift」を発売。
人物・エピソード[編集]
- デビューのきっかけとなった「パンツの穴」のオーディションは、当時オーディションがはやっていて何となく応募しただけで、映画に出たかったわけではなかった。
- 7月30日を「奈美の日」とし、同日にはファンとの運動会を毎年開催するとともに、1990年の引退日も同日付となっているなど、「ナミ」にかなり拘っている。それは日付にとどまらず、デビュー曲「ガラスの幻想曲」のレコード商品番号はAH-730、その後「73」と並ばないまでも、セカンドシングル「負けないで…片想い」はAH-763、「パウダースノーの妖精」AH-783など、7と3が入る商品番号となっている。また、当時のファンクラブの電話番号も末尾が「0073」であった。
- 子供のころの夢は歌手になることともに幼稚園の先生になることも夢だった。
- 島田奈美ファンクラブ「73 CLUB」の会員番号1番は島田奈央子であった。[5]
- 西村知美、杉浦幸と大変仲が良く、アイドル時代は頻繁に電話や手紙でのやり取りをしていた。西村とはザ・ベストテン出演時に一緒に手を繋いで登場し、Momoco Partyでは杉浦と手をつないでエンディングを唄った。また、西村の結婚式にも参列している。
- この時期のアイドルとしては珍しく、水着グラビアなどの出演は基本的に行っていない。本人も「モデルではない」として断っているという。そのためファンにも「水着には一度もなっていない」と思われているが、正しくは映画「パンツの穴」でのオーディションの時と、クレアラシルのCM「プール編」の2度だけ水着になった事がある。クレアラシルプール編の撮影では水着の上からジョギングパンツを履いていたが、セリフのシーンで水着が嫌で泣き出した。そのため本編ではガウンを着用したものがOAされた[6]。なお、当時プライベートでは紺色の水着を所有していた[注釈 2]。
- デビュー3年目の1988年7月3日、渋谷エッグマンで同性ファン開拓を試み女性限定ライブを行った。
- 引退直前には「ラストアルバムでは、素直に自分のやりたいことが出来たので、思い残すことはない」ともコメントしている[7] 一方、「ダンスミュージックは受け入れられなかった気がする」というコメントも残している[7]。
- 阪神タイガースのファンで、デイリースポーツも購読している[3]。本人によれば「弱さが好き」とのこと。ただし、家族は全員巨人ファンであるという。
- ペットで犬を飼っていたことがある。島田本人は猫は嫌いではないが、父親が猫嫌い。
- 元F1ドライバーナイジェル・マンセルのファン[3]。
- 同業の友人を通じて、同姓同名のフリーアナウンサーと交流を持つことになる[8][9][10]。
- 現在の職業について「ジャズ評論家」という呼ばれ方を本人は否定しており、あくまで「ライター」「DJ」であると言っている。
主な出演[編集]
幼少期から島田奈美デビュー前[編集]
CM・広告[編集]
- 小林脳行 「モスボックス」(1975年、子役時代)
- アサヒ玩具 「ママ・ジューサー」(1975年、子役時代)
- サンヨー食品 「サッポロ一番みそラーメン」(1985年、14歳当時)
- 藤岡琢也の隣で「うわーおいしそう」「ハイ!」のセリフ。
- キヤノン販売 「MSXホームコンピューターV8」(1985年、14歳当時)
- 同機の広告が掲載された「MSXマガジン」1985年8月号に「8月のときめき」(イメージガール)として掲載。
- 大阪ガス (クリスマス篇、バレンタイン篇。CMソングも歌う)
- 「島田奈美」の芸名が付く以前から出演開始し、「島田奈美」以降も継続して出演。
映画[編集]
- パンツの穴 花柄畑でインプット (1985年4月13日公開) - 生徒 役
島田奈美デビュー後[編集]
テレビ番組における歌唱[編集]
※ 在京キー局のテレビ番組の放送日は首都圏のもの。地方の系列局の放送日は異なる場合がある。
放送日 (曜日) | 番組名 | 放送局 | 歌唱曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1986.05.18 (日)[注釈 3] | 紳助・俵太のここ一番[注釈 3] | TBS | ガラスの幻想曲 | |
1986.06.05 (木)[注釈 4] | おはようスタジオ[注釈 4] | テレビ東京 | ガラスの幻想曲 | |
1986.06.19 (木) | ザ・ベストテン | TBS | ガラスの幻想曲 | 「今週のスポットライト」コーナーに出演。 |
1986.06.23 (月) | 歌のトップテン | 日本テレビ | ガラスの幻想曲 | 「話題曲」コーナーに出演。 |
1986.06.28 (土)[注釈 5] | SATAMAGA[注釈 5] | 仙台放送 | ガラスの幻想曲 | |
1986.08.02 (土) | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ | TBS | ガラスの幻想曲 | |
1986 | ヤンヤン歌うスタジオ | テレビ東京 | ガラスの幻想曲 | |
1986.08.10 (日) | ロッテ 歌のアルバムNOW | TBS | 負けないで…片想い | |
1986.08.17 (日) | クイズ・ドレミファドン! | フジテレビ | 負けないで…片想い | |
1986.09.14 (日) | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | 負けないで…片想い | |
1986.09.21 (日)[注釈 6] | '86KBC新人歌謡音楽祭[注釈 6] | KBC | 負けないで…片想い | 福岡サンパレスにおいて開催[注釈 6]。 |
1986.09.28 (日)[11][12] | ヤングスタジオ101[11][12] | NHK総合・ NHK衛星第1 |
ガラスの幻想曲 | |
1986.09.28 (日) 深夜 | オーディションハウス | フジテレビ | 負けないで…片想い | |
1986.10.12 (日) | モモコクラブ | TBS | 負けないで…片想い | |
1986.12.07 (日)[注釈 7] | クイズ・ドレミファドン![注釈 7] | フジテレビ | パウダースノーの妖精 | |
1986.12.13 (土)[注釈 8] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 8] | TBS | パウダースノーの妖精 | |
1986.12.21 (日)[注釈 9] | ロッテ 歌のアルバムNOW[注釈 9] | TBS | パウダースノーの妖精 | |
1987.01.31 (土)[注釈 10] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 10] | TBS | Free Balloon | |
1987.02.01 (日) | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | Free Balloon | |
1987.02.15 (日) | ロッテ 歌のアルバムNOW | TBS | Free Balloon | |
1987.02.26 (木)[13][注釈 11] | ザ・ベストテン[13][注釈 11] | TBS | Free Balloon[13] | 第10位[13]。 |
1987.03.01 (日) | ヤンヤン歌うスタジオ | テレビ東京 | Free Balloon | |
1987.03.02 (月)[注釈 12] | 歌のトップテン[注釈 12] | 日本テレビ | Free Balloon | 第10位。 |
1987.03.09 (月) | 歌のトップテン | 日本テレビ | Free Balloon | 第10位。 |
1987.03.14 (土)[注釈 13] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 13] | TBS | Free Balloon | |
1987.05.03 (日)[注釈 14] | モモコクラブ[注釈 14] | TBS | 内気なキューピッド | |
1987.05.04 (月) | 交通安全キャンペーン25時間チャリティー・ラテソン「かたつむり大作戦・思いやりで高めよう交通マナー・ひとりからみんなへ」 | 京都放送 | ガラスの幻想曲 負けないで…片想い Dream Child 春人魚 内気なキューピッド パウダー・スノーの妖精 Free Balloon |
京都府総合見本市会館において行なわれた島田のチャリティー・コンサートを生中継。 |
1987.05.17 (日) | ロッテ 歌のアルバムNOW | TBS | 内気なキューピッド | |
1987.05.23 (土)[注釈 15] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 15] | TBS | 内気なキューピッド | |
1987.05.24 (日)①[注釈 16] | モモコクラブ[注釈 16] | TBS | 内気なキューピッド | |
1987.05.24 (日)② | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | 内気なキューピッド | |
1987.05.28 (木)[14] | ザ・ベストテン[14] | TBS | 内気なキューピッド[14] | 第10位[14]。 |
1987.05.29 (金) | ミュージックステーション | テレビ朝日 | 内気なキューピッド | |
1987.06.01 (月) | 歌のトップテン | 日本テレビ | 内気なキューピッド | 第10位。 |
1987.06.07 (日)[15][16] | ヤングスタジオ101[15][16] | NHK総合・ NHK BS1 |
内気なキューピッド | |
1987.06.08 (月)[注釈 17] | 歌のトップテン[注釈 17] | 日本テレビ | 内気なキューピッド | 第10位。 |
1987.06.20 (土) | オレたちひょうきん族 | フジテレビ | 内気なキューピッド | |
1987.07.05 (日)[注釈 18] | ロッテ 歌のアルバムNOW[注釈 18] | TBS | 内気なキューピッド[注釈 18] | |
1987.07.19 (日) | モモコクラブ | TBS | 内気なキューピッド | |
1987.08.09 (日)① | モモコクラブ | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.08.09 (日)② | ロッテ 歌のアルバムNOW | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.08.23 (日) | モモコクラブ | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.08.27 (木)[17][注釈 19] | ザ・ベストテン[17][注釈 19] | TBS | パステル・ブルーのためいき[17] | 第7位[17]。 |
1987.08.30 (日) | クイズ・ドレミファドン! | フジテレビ | パステル・ブルーのためいき | |
1987.08.31 (月)[注釈 20] | 歌のトップテン[注釈 20] | 日本テレビ | パステル・ブルーのためいき | 第10位。 |
1987.09.03 (木)[17] | ザ・ベストテン[17] | TBS | パステル・ブルーのためいき[17] | 第9位[17]。 |
1987.09.07 (月) | 歌のトップテン | 日本テレビ | パステル・ブルーのためいき | 第10位。 |
1987.09.09 (水)[注釈 21] | 夜のヒットスタジオDELUXE[注釈 21] | フジテレビ | パステル・ブルーのためいき | |
1987.09.13 (日)[18] | ヤングスタジオ101[18] | NHK総合 | パステル・ブルーのためいき | |
1987.09.19 (土)[注釈 22] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 22] | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.09.27 (日)① | モモコクラブ | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.09.27 (日)② | ロッテ 歌のアルバムNOW | TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.10.03 (土) 深夜 | MOMOCO PARTY | TBS | ガラスの幻想曲 内気なキューピッド パステル・ブルーのためいき Free Balloon |
|
1987.10.04 (日) | やる気マンマン日曜日 | 毎日放送・TBS | パステル・ブルーのためいき | |
1987.10.11 (日) | モモコクラブ'87 | TBS | ハロー・レディ | |
1987.11.07 (土)[注釈 23] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 23] | TBS | ハロー・レディ | |
1987.11.23 (月) | 志村けんのだいじょうぶだぁ | フジテレビ | ハロー・レディ | |
1987.11.29 (日) | 歌え!アイドルどーむ | テレビ東京 | ハロー・レディ | |
1987.12.06 (日)①[注釈 24] | モモコクラブ'87[注釈 24] | TBS | ハロー・レディ | |
1987.12.06 (日)② | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | ハロー・レディ | |
1987.12.12 (土)[注釈 25] | サタデーポップ'88[注釈 25] | TBS | ハロー・レディ | |
1987.12.20 (日) | モモコクラブ'87 | TBS | ハロー・レディ | |
1988.01.02 (土)[注釈 26] | 加トちゃんケンちゃんおめでとうテレビ[注釈 26] | TBS | ハロー・レディ | |
1988.01.24 (日)[注釈 27] | 吉村明宏のアイドルブティック[注釈 27] | TBS | タンポポの草原 | |
1988.02.07 (日) | 歌え!アイドルどーむ | テレビ東京 | タンポポの草原 | |
1988.02.13 (土)[注釈 28] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 28] | TBS | タンポポの草原 | |
1988.02.14 (日)[19] | ヤングスタジオ101[19] | NHK総合 | タンポポの草原 | NHK衛星第2では2月20日(土)放送[20]。 |
1988.02.21 (日)① | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | タンポポの草原 | |
1988.02.21 (日)② | 吉村明宏のアイドルブティック | TBS | タンポポの草原 | |
1988.02.25 (日)[21] | ザ・ベストテン[21] | TBS | タンポポの草原[21] | 第8位[21]。 |
1988.03.03 (日)[21] | ザ・ベストテン[21] | TBS | タンポポの草原[21] | 第10位[21]。 |
1988.03.07 (月)[注釈 29] | 歌のトップテン[注釈 29] | 日本テレビ | タンポポの草原 | 第10位。 |
1988.03.20 (日) | 歌謡びんびんハウス | テレビ朝日 | タンポポの草原 | |
1988 | コラーッ!とんねるず | 日本テレビ | タンポポの草原 | |
1988 | ときめきタイムリー | 読売テレビ | タンポポの草原 | |
1988.05.15 (日)[注釈 30] | やる気マンマン日曜日[注釈 30] | 毎日放送・TBS | NO! | 番組収録日は1988年5月10日(火)[注釈 31]。 |
1988.05.21 (土)[注釈 32] | JanJanサタデー[注釈 32] | 静岡第一テレビ | NO! | |
1988.05.28 (土) 深夜[注釈 33] | オールナイトフジ[注釈 33] | フジテレビ | NO! | |
1988.05.29 (日) | 吉村明宏のアイドルブティック | TBS | NO! | 番組収録日は1988年5月25日(水)[注釈 33]。 島田は同番組の次回1988年6月5日(日)放送分にも出演(収録は同前日)。 |
1988.06.04 (土)[注釈 34] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 34] | TBS | NO! | 番組収録日は1988年5月17日(火)[注釈 35]。 |
1988.06.07 (火)[注釈 36] | ドリフ大爆笑'88[注釈 36] | フジテレビ | NO! | 番組収録日は1988年5月24日(火)[注釈 33]。 |
1988.06.09 (木)[22][注釈 37] | ザ・ベストテン[22][注釈 37] | TBS | NO![22] | 第10位[22]。 |
1988.06.12 (日)[注釈 38] | 歌え!アイドルどーむ[注釈 38] | テレビ東京 | NO! | 番組収録日は1988年6月7日(木)[注釈 39]。 |
1988.06.21 (火)[注釈 40] | ダウンタウンのゆーたもん勝ち[注釈 40] | 毎日放送 | NO! | 番組収録日は1988年6月14日(火)[注釈 41]。 |
1988.08.07 (日) | 歌え!アイドルどーむ | テレビ東京 | MOONLIGHT WHISPER | 番組収録日は1988年8月2日(火)[注釈 42]。 |
1988.08.13 (土) | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ | TBS | MOONLIGHT WHISPER | 番組収録日は1988年7月12日(火)[注釈 43]。 |
1988.08.14 (日) | スーパーJOCKEY | 日本テレビ | MOONLIGHT WHISPER | 番組収録日は1988年8月7日(日)[注釈 44]。 |
1988.08.27 (土)[注釈 45] | 三枝やすし興奮テレビ[注釈 45] | 毎日放送 | MOONLIGHT WHISPER | |
1988.08.28 (日)[注釈 46] | 24時間テレビ 「愛は地球を救う」[注釈 46] | 日本テレビ | MOONLIGHT WHISPER | |
1988.09.03 (土)[注釈 47] | JanJanサタデー[注釈 47] | 静岡第一テレビ | MOONLIGHT WHISPER | |
1988.09.13 (火) | ドリフ大爆笑'88 | フジテレビ | MOONLIGHT WHISPER | 番組収録日は1988年7月18日(月)・19日(火)[注釈 48]。 |
1988.10.23 (日) | 吉村明宏のアイドルブティック | TBS | MOONLIGHT WHISPER | 番組収録日は1988年9月14日(水)[注釈 49]。 島田は同番組の前回1988年9月18日(日)放送分にも出演(収録は同前日)。 |
1988.11.20 (日) | 吉村明宏のアイドルブティック | TBS | 12月のフェアリー | 番組収録日は1988年11月2日(水)[注釈 50]。 島田は同番組の次回11月27日(日)放送分にも出演(収録は同前日)。 |
1988.12.02 (金) | ミュージックステーション | テレビ朝日 | 12月のフェアリー | |
1988.12.03 (土)[注釈 51] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 51] | TBS | 12月のフェアリー | 番組収録日は1988年11月1日(火)[注釈 50]。 |
1988.12.31 (土)[注釈 52][注釈 53] | 吉村明宏のアイドルブティック[注釈 52][注釈 53] | TBS | 12月のフェアリー | 生放送[注釈 52]。 |
1989.02.19 (日)[注釈 54] | スーパーJOCKEY[注釈 54] | 日本テレビ | 春だから | |
1989.02.25 (土) | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ | TBS | 春だから | 番組収録日は1989年1月24日(火)[注釈 55]。 |
1989.03.11 (土)[注釈 56] | JanJanサタデー[注釈 56] | 静岡第一テレビ | 春だから | |
1989.03.25 (土) | 春休みだよ!アイドル共和国誕生!! | テレビ朝日 | 春だから | |
1989.05.20 (土) | アイドル共和国 | テレビ朝日 | 愛を走らせて | |
1989.05.24 (水)[注釈 57][注釈 58] | 歌のビッグファイト![注釈 57][注釈 58] | テレビ東京 | 愛を走らせて[注釈 58] | |
1989.05.27 (土) | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ | TBS | 愛を走らせて | 番組収録日は1988年4月18日(火)[注釈 59]。 |
1989.07.01 (土)[注釈 60] | JanJanサタデー[注釈 60] | 静岡第一テレビ | 愛を走らせて | |
1989.08.12 (土)[注釈 61] | '89フェスタしずおか[注釈 61] | 静岡放送・TBS | 愛を走らせて[注釈 61] | 番組収録日は1989年8月6日(日)[注釈 62]。 |
1990.03.24 (土)[注釈 63] | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[注釈 63] | TBS | もと…ずっと… I LOVE YOU | 番組収録日は1990年3月6日(火)[注釈 64]。 |
1990.04.07 (土)[注釈 65] | JanJanサタデー[注釈 65] | 静岡第一テレビ | もと…ずっと… I LOVE YOU | |
1990.04.18 (火) 深夜 | 東京イエローページ | TBS | もと…ずっと… I LOVE YOU | |
1990.04.27 (木)[注釈 66] | カフェシティヨコハマ[注釈 66] | テレビ神奈川 | もと…ずっと… I LOVE YOU | |
1990.07.22 (日) | 森口博子のメガキッズTV | テレビ東京 | もと…ずっと… I LOVE YOU | 島田が同番組に出演しPVを放映。歌唱のライブパフォーマンスは無いが便宜上本リストに含める。 |
バラエティ番組[編集]
- モモコクラブ (TBS ※「テレビ番組における歌唱」の節参照)
- 新型!!スターマガジンSEE-X(フジテレビ、1988年3月21日 ※島田の特集)[注釈 67]
- 少女雑貨専門TV エクボ堂(テレビ東京、1988年4月11日)[注釈 68]
- 森田一義アワー 笑っていいとも! テレフォンショッキング(フジテレビ、1988年4月14日)
- 邦子のタッチみー!(TBS、1988年12月18日)[注釈 69]
その他多数
情報番組[編集]
- ルックルックこんにちは(日本テレビ、1988年8月19日、「アイドルの怖ーい話」に出演)
- 24時間テレビ(日本テレビ、1988年8月28日[注釈 46])
テレビドラマ[編集]
- お坊っチャマにはわかるまい! (TBS、1986年4月15日 - 7月22日) - 平田奈美 役
CM・広告[編集]
- 日本ヴィックス(当時) 「クレアラシル」
- 憧れの先輩編「負けないで片思い」、思われニキビ編「パウダースノーの妖精」、プールサイド編「うそつきは恋のはじまり」、おみくじ編「Sing To The Music」、回転遊具編「サファイアの湖」、の5パターンあり。代理店/マッキャン・エリクソン博報堂、CMディレクター/大橋伸一。
- 京阪電気鉄道 「きょうは、京阪」(1987年、京阪本線京都地区地下化によるCM)
- 2010年、京阪開業100周年記念事業として2600系電車を用い実施された巡業展示「京阪ミュージアムトレイン」の車内に当時のポスターが掲示された。
- 関東郵政局 「郵便貯金」・「定額貯金」
- ヤンマー 「シャトルホン」
- 伎芸天 「振り袖」
コンサート[編集]
- 1986年 クリスマスコンサート 神奈川県民ホール
- NAMI 1st CONCERT
- 1987年 3月25日 大阪
- 1987年 3月27日 東京
- 1987年 3月29日 仙台
- 1987年 4月 1日 名古屋
- SUMMER CONCERT~Prologue~
- 1987年 8月 1日 福岡 福岡都久志会館
- 1987年 8月 7日 大阪 大阪厚生年金会館
- 1987年 8月 8日 名古屋 愛知勤労会館
- 1987年 8月10日 東京 中野サンプラザホール
- 「Momoco Party 桃娘大好き! あたりまエッ!!」
- 1987年 8月29日 日比谷野外音楽堂
- 1987FINAL LIVE We are Dream Child
- 1987年12月21日 インクスティック 芝浦ファクトリー
- Spring Concert'88 +α
- 1988年 4月 3日 名古屋 愛知勤労会館
- 1988年 4月 6日 東京 中野サンプラザホール
- 1988年 4月 9日 大阪 御堂会館
- SUMMER CONCERT 1988 CURIOSSITY
- 1988年 8月27日 大阪 大阪厚生年金会館
- 1988年 9月 1日 東京 中野サンプラザホール
- 1988年 9月 6日 名古屋
- EVERYTIME LIVE TOUR 88'LOOK AT YOU
- 1988年 9月 1日 中野サンプラザホール
- 1988年12月16日 横浜・関内セブンスアヴェニュー
- 1988年12月24日 大宮フリークス
- '89 SPRING CONCERT "BEST SELECTION"
- 1989年 3月30日 日本青年館大ホール
- ~SPECIAL SUMMER GIFT~
- 1989年 7月29日 サウンドコロシアムMZA有明
- SPRING CONCERT '90 もっと…ずっと…I LOVE YOU
- 1990年 4月27日 仙台 CADホール
- 1990年 5月 1日 CLUB CITTA'川崎
- 島田奈美 FINAL CONCERT ~FAREWELL PARTY=the 5th Nami's Day~
- 1990年 7月30日 サウンドコロシアムMZA有明
※上記以外にも開催実績あり
ラジオ[編集]
- 奈美のFLYING TEAPOT(新潟放送[23][24][注釈 70])
- 小倉久寛のオグラでオグラだ! (ニッポン放送、1986年10月 - 1987年3月) - 月曜日パートナー
- 小堺一機のヤングプラザ(文化放送、1987年6月6日 - 1990年7月28日(島田の引退まで))
- FMヤングスタジオ(JFNラジオ、1989年4月-1990年3月)
- 金曜日レギュラーパーソナリティとして出演
一日警察署長[編集]
島田奈美引退後、島田奈央子として[編集]
情報番組[編集]
- 新 おとな総研@G+ (2009年4月 - 6月、CS・日テレG+) - メインパーソナリティ
- 桂雀々の大判小判がじゃくじゃく (2014年5月17日 TwellV)
- この他、スペースシャワーTVでもDJを担当。
ラジオ[編集]
- RADIO-izm (1996年4月1日 - 1997年3月31日の月曜・火曜担当、エフエム富士)
- ROOMS (大和ラジオ放送、木曜23:00 - 24:00)
- Taste of Swing (アサヒビールのWEBラジオ)
- THE LOOK OF JAZZ (ミュージックバード制作のラジオ番組)
- Jazzy ( - 2005年、フォルクスワーゲンの公式サイト内でのWEBラジオ)
- 音楽雑誌『スウィング・ジャーナル』協力のジャズ番組。
- 今日は一日“女子ジャズ”三昧(2013年10月25日 0:15~8:45NHKFM)「今日は一日○○三昧」シリーズ番組の女子ジャズの回で司会を担当。
- ジャズメガネ&島田奈央子 今夜も大いいトークス (2016年8月17日~、Sony Music Direct (Japan)のWEBラジオ)
- この他、NACK5、BayFMでもDJを担当。
クラブDJ[編集]
ジャンルはSOUL、JAZZ、AORなど。
一日郵便局長[編集]
- 2002年4月25日 大和郵便局一日郵便局長
ディスコグラフィ[編集]
島田奈美名義[編集]
シングル[編集]
No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | c/w(収録曲) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ガラスの |
86.5.21 | 19位 | Side 1. ガラスの Side 2. ブルードットの恋 |
Side 2 作詞・作曲小坂明子、小坂のセルフカバーアルバム、「「懐想」 linked to 40yrs.」に「ブルードットの恋 for 島田奈美」として収録されている。 |
2 | 負けないで...片想い | 86.8.21 | 15位 | Side 1. 負けないで...片想い Side 2. 昼下がりの星屑 |
Side 1 日本ヴィックス(当時)「クレアラシル」TV-CFソング
2001年、テレビアニメ『SAMURAI GIRL リアルバウトハイスクール』のエンディングテーマとして、声優の野川さくらがカバー |
3 | パウダー・スノーの妖精 | 86.11.19 | 12位 | Side 1. パウダー・スノーの妖精 Side 2. 綺麗になりたい |
日本ヴィックス(当時)「クレアラシル」TV-CFソング |
4 | Free Balloon | 87.2.11 | 9位 | Side 1. Free Balloon Side 2. 頬よせて |
初めて「ザ・ベストテン」(10位、1987年2月26日)、「歌のトップテン(10位、同年3月2日)」にランクイン |
5 | 内気なキューピッド | 87.5.15 | 7位 | Side 1. 内気なキューピッド Side 2. WEEKEND MUSEUM |
2曲ともEPOによる作詞作曲
「ザ・ベストテン」1987年5月28日10位 「歌のトップテン」1987年6月1日10位、6月8日10位 |
6 | パステル・ブルーのためいき | 87.8.12 | 7位 | Side 1. パステル・ブルーのためいき Side 2. ミントの香り |
「ザ・ベストテン」1987年8月27日7位、9月3日9位
「歌のトップテン」1987年8月31日10位、9月7日10位 |
7 | ハロー・レディ | 87.11.11 | 10位 | M-01 ハロー・レディ M-02 シャイにならないで M-03 Dream Child (Live Version) |
M-01 TBSテレビアニメ「レディレディ!!」挿入歌・劇場版オープニングテーマ M-03 初回限定盤3曲収録の12cm盤CDにのみ収録 本作のみMEG-CDでの復刻発売がない |
8 | タンポポの草原 | 88.2.10 | 9位 | M-01 タンポポの草原 M-02 消しゴムで消したジェラシー M-03 鏡の中の私 |
M-03 初回限定盤3曲収録の12cm盤CDにのみ収録
「ザ・ベストテン」1988年2月25日8位、1988年3月3日10位 |
9 | NO! | 88.5.25 | 13位 | M-01 NO! M-02 くちびるミュート |
「ザ・ベストテン」1988年06月09日10位 |
10 | MOONLIGHT WHISPER | 88.8.17 | 15位 | M-01 MOONLIGHT WHISPER M-02 サイレント・アプローチ |
|
11 | 12月のフェアリー | 88.11.23 | 23位 | M-01 12月のフェアリー M-02 恋はスローダンス |
|
12 | 春だから | 89.2.22 | 32位 | M-01 春だから M-02 SPRING FOOL まさか?! |
|
13 | 愛を走らせて | 89.5.21 | 50位 | M-01 愛を走らせて M-02 夏の予感 |
アナログレコードでの発売はこのシングルが最後 |
14 | もっと…ずっと…I LOVE YOU | 90.3.21 | 100位 | M-01 もっと…ずっと…I LOVE YOU M-02 MY HEART, DON'T BE SHY |
2曲とも島田奈央子名義による作詞
島田奈美最終シングル |
アルバム[編集]
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
タイトルの後の(※)は、コロムビアの受注生産型CD-Rソフト「オンデマンドCD」で2009年に発売したタイトル。 | ||||
1st | 1986年9月21日 | 放課後のスケッチ 〜NAMI 1st collection〜(※) | 収録曲
|
「ブルードットの恋(ロング・ヴァージョン)」は、 弦楽四重奏のみによるアレンジという珍しい作品 |
2nd | 1986年12月17日 | ほほえみをあなたに 〜NAMI 2nd collection〜(※) | 収録曲
|
「Twinkle Christmas」で、初めて作詞に挑戦。 ただし、この時にはスタッフの力を借りたため、 「島田奈央子&メリーゴーランド」となっている。 「そっとRemember」の作詞・作曲・コーラスアレンジは小坂明子 |
3rd | 1987年4月1日 | SIXTEEN 〜NAMI 3rd collection〜(※) | 収録曲
|
「Dream Child」で本格的に作詞を手がける。 「夢のバルコニー」は作詞・作曲:辛島美登里 「白い時間(とき)」は作詞・作曲:小坂明子 |
4th | 1987年7月21日 | Prologue 〜NAMI 4th collection〜(※) | 収録曲
|
「ハッピーエンドの後で」作曲:村下孝蔵 「内気なキューピッド」作詞・作曲:EPO 「眠れる森のVENUS」作詞・作曲:太田裕美 「あぶないアクシデント」作詞・作曲:小坂明子 「九月には微笑んで」作曲:大沢誉志幸 |
Mini | 1987年12月1日 | VIA AIR MAIL(※) | 収録曲
|
全曲島田奈央子作詞(「島田奈央子&メリーゴーランド」を含む) ロンドン市内を散策するイメージで作成されたミニアルバムで、ナレーション入り 「Dream Child」は別ヴァージョン、「Twinkle Christmas」はライヴヴァージョン 世界初のピクチャーレーベルCD |
5th | 1988年3月10日 | +α(※) | 収録曲
|
全作詞:松本隆 「Kissは元気の出る薬」作曲:財津和夫 「Mint Tea Without Sugar」作曲:小坂明子 「+αの勇気」作曲:大沢誉志幸 |
6th | 1988年7月21日 | CURIOSITY(※) | 収録曲
|
「Curiosity Girl」は島田奈央子作詞 「独立宣言」作曲:原田真二 「HE LOVES HER」は正式デビュー前だった黒沢健一の作曲 |
Remix Mini | 1988年10月1日 | TRYING BIRD 〜NAMI REMIX〜 | 収録曲
|
8センチCDのミニ・アルバム |
7th | 1988年12月10日 | EVERYTIME I LOOK AT YOU(※) | 収録曲
|
全曲島田奈央子作詞 「STILL SINGING TO MY HEART」はジョン・レノンに捧げた歌。 |
Best | 1989年3月21日 | NAMI BEST COLLECTION SCENE 12 | 収録曲
|
初のベスト・アルバム |
8th | 1988年10月1日 | Voice(※) | 収録曲
|
「Havin' it all」「幸せになるために」が島田奈央子作詞 |
Remix | 1989年12月21日 | MIX WAX 〜NAMI NONSTOP〜(※) | 収録曲
|
これまでに発表した島田奈央子作詞、杉山洋一作曲の楽曲の中から 6曲を選んで寺田創一が新たにリアレンジ、ノンストップリミックスメドレーにしたもの。 |
9th | 1990年4月1日 | I LOVE YOU > YOU DO(※) | 収録曲
|
全曲島田奈央子作詞、オリジナル・アルバムとしてはラスト |
Best | 1990年7月21日 | FAREWELL 〜NAMI MEMORIAL BEST 30〜 | 収録曲
[Disc-1]
[Disc-2]
|
初の2枚組、アイドル引退前最後のベスト・アルバム |
Remix Mini | 1991年6月21日 | SUN SHOWER REMIXES NAMI | 収録曲
|
「SUN SHOWER」のダンス・リミックスヴァージョンを4曲収録。 寺田創一がリミックスを手がけた「MIX WAX」収録の 「SUN SHOWER」をさらにリミックスしたもので、 ガラージュサウンドの大御所DJ、ラリー・レヴァンが参加した。 2004年にはオランダのインディーレーベル「CREME ORGANIZATION」からもリリースされた。 |
Best | 1991年6月21日 | アンコール!!ヒットグラフィティ | 収録曲
|
引退の1年後に発売されたベスト・アルバム |
Remix | 1992年 | SUN SHOWER REMIXES | 収録曲
|
寺田創一が設立した「Far East Recording」レーベルから発売 1991年発売のアルバムとは異なるアレンジで10曲収録 |
Best | 1993年9月21日 | 島田奈美ベスト・セレクション | 収録曲
|
引退の3年後に発売されたベストアルバム |
Best | 2004年12月1日 | 島田奈美ベスト | 収録曲
[Disc-1]
[Disc-2]
|
アイドルミラクルバイブル・シリーズ、初のコンプリートシングルコレクション。 シングルの初回限定版のみ収録2曲を収録。 「NO!(REMIX)」「パウダー・スノーの妖精(REMIX)」は「TRYING BIRD」収録のヴァージョン。 ブックレットにはジャケットの表裏が縮小印刷されているが、 「レディレディ!!」の原作者・英洋子のイラストが使われた「ハロー・レディ」の 裏ジャケットは掲載されていない。 |
Remix | 2004年12月 | Nami Shimada – Sunshower | 収録曲
|
Remix, Producer [Re-producer] – Legowelt 2004年にオランダのインディーズレーベル「Creme Organization」から Nami Shimada名義で発売。 Japanツアーには寺田創一と共にDJ参加 |
Best | 2011年5月18日 | 島田奈美 ゴールデン☆ベスト | レコード会社各社が発売しているゴールデン☆ベストの1枚として 2017年8月30日にはUHQCD盤も発売 | |
Best | 2019年7月3日 | NAMI SHIMADA songs selected by NAOKO SHIMADA | 島田本人の選曲よるベスト盤[注釈 72] | |
Remix Best | MIX WAX 〜(NON)NAMI NONSTOP〜 | 1989年発売のMIX WAX 〜NAMI NONSTOP〜のアップグレート盤 アナログ盤も同時発売 |
島田奈央子名義[編集]
- シティーハンター '91『CITY HUNTER'91 - オリジナル・アニメーション・サウンドトラック』 1991年6月21日発売
- お願いキス・ミー・アゲイン
- 3トラック目に収録。「NAOKO」名義(作詞は島田奈央子名義)
- HAPPY TREE(NAOKO SHIMADA with Alani) 2003年9月25日発売
- BEYOND THE REEF/IN A LITTLE HULA HEAVEN/パイナップル・プリンセス/HAWAIIAN WEDDING SONG/LOVELY HULA HANDS/PEARLY SHELLS/Happy Tree/BEYOND THE REEF(JARA JARA Remix:Soichi Terada)
- 山内雄喜のハワイアンのアルバムにボーカリストとして参加。8曲目は寺田創一のリミックス。
- サムシング・ジャジー〜毎日、女子ジャズ。 2010年7月28日発売 EMIミュージック・ジャパン TOCJ-66538
- 「Something Jazzy 女子のための新しいジャズ・ガイド」に連動したコンピレーションアルバム。選曲/監修を担当している。
- Something Jazzy アイランド・クリスマス〜冬の休日、女子ジャズ。 2010年11月3日発売 Pヴァイン・レコード
- プロデュース・制作を担当。
- パリ旅で、女子ジャズ~Something Jazzy 2011年12月7日発売 EMIミュージック・ジャパン
- 「女子ジャズ」コンピレーションアルバム第2弾。選曲/監修を担当。
- Something Jazzy 雨の日の午後に聴きたい 女子ジャズ 2016年7月1日よりiTunesで配信開始[27][28]
- 選曲/監修:島田奈央子 ワーナーミュージックジャパン
映像作品[編集]
VHD[編集]
- モモコクラブ (Vol.1 - 5、日本ビクター)
ビデオ[編集]
- 時のサークルゲーム (日本コロムビア、1987年)
- +α (日本コロムビア、1988年)
- VIDEO CUTIE ②(日本コロムビア、1988年)
- 『VIDEO CUTIE』は日本コロムビア所属アイドル宣伝のための無料レンタルビデオ。島田は白田あゆみらを紹介するDJとして登場。
- VIDEO CUTIE ③(日本コロムビア、1988年)
- 1988年7月3日における島田の女性限定ライブの模様を紹介。
- APPLE DREAMING (勁文社、1988年)
- スーパーモモコ (発売:マツヤカラー、配給:パワースポーツ)
- 島田奈美 FINAL CONCERT ~FAREWELL PARTY=the 5th Nami's Day~ (1990年)
- ファンクラブ「73CLUB」会員限定のファイナルコンサートの様子を収録したビデオ。
書籍[編集]
著書[編集]
- Something Jazzy 〜 女子のための新しいジャズ・ガイド (2010年1月26日、駒草出版)ISBN 4903186776
- Something Jazzy 〜 女子JAZZスタイルブック (2011年12月9日、中央公論新社)ISBN 4120042979
写真集[編集]
- The Photographs 〜風にも歌がある (1987年4月、学習研究社、撮影:会田我路、イギリスロケ作品)
- きらめきAvenue (1987年5月、ワニブックス) - フォト&エッセイ集 ISBN 4847010418
- +α (1988年4月、学習研究社、撮影:齋藤清貴)
- 抱きしめたい! (1988年7月、勁文社、撮影:小林ばく)ISBN 4766907906
- APPLE DREAMING (1988年6月、勁文社)ISBN 4766907612
- Marble・Scene・12 (1989年3月、近代映画社) - フォト&エッセイ集 ISBN 4764815710
雑誌ライター[編集]
- CDジャーナル
- スイングジャーナル
- FM STATION
- ソングコング
- 月刊デ・ビュー
その他[編集]
ファンクラブ会報やCDのライナーノーツなどの執筆を行なっている。変わったところでは、九州出身のバンド「ブロス」のデビューアルバムのライナーノーツ執筆だけではなく、販売促進のパンフレットで「ロドリゲス航空チーフパーサー」として出演している。
関連人物[編集]
- 西村知美 - 桃組三人娘の一人
- 杉浦幸 - 桃組三人娘の一人
- 杉山洋介 - 元SALLYのリーダーで、事務所の先輩。島田奈美後期を中心に楽曲の提供やアルバムをプロデュース。
- 野間真(元・アルテミスプロモーション社長。現・撮影会スタジオ「いちごはうす」代表) - 学生時代に芸能事務所「メリーゴーランド」にてアルバイトをし、その後正式に入社。島田奈美ファンクラブの担当を務めた。
- 村上てつや(ゴスペラーズ) - 「島田奈美」時代のファンクラブに入っていた。
- 寺田創一 - 「SUN SHOWER」作曲家。この楽曲をアメリカのカリスマDJラリー・レヴァンに手渡し、島田を国際的に有名にした人物。
- 平井景 - 信州ジャズプロデューサー
- 近田和生 - RADIO-izmパーソナリティ時代、水・木曜DJを担当していた。
- 宅麻仁 - RADIO-izmパーソナリティ時代、金曜DJを担当していた。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ このエピソードは島田が担当していたRADIO-izmの番組中にも語られた。
- ^ スクール水着ではない。
- ^ a b 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1986年第20号の番組表p.61に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1986年6月5日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1986年6月号p.182)のテレビ番組表に「とんねるずの妹・島田奈美初登場」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『河北新報』宮城県版1986年6月28日朝刊第24面のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b c 『朝日新聞』西部版1986年9月21日朝刊第24面のテレビ番組表に、福岡サンパレスにおける開催と番組放送予定の記載あり。ただし「島田奈美」の記載無し。
- ^ a b 『読売新聞』1986年12月7日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1986年12月号p.306)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1986年12月13日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1986年12月号p.544)および夕刊第12面(同前p.564)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1986年12月21日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1986年12月号p.860)のテレビ番組表に「知美・奈美×超新人類」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年1月31日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年1月号p.1206)および夕刊第12面(同前p.1226)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年2月26日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年2月号p.1024)および夕刊第16面(同前p.1044)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年3月2日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年3月号p.56)および夕刊第16面(同前p.80)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年3月14日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年3月号p.580)および夕刊第16面(同前p.604)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年5月3日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.108)のテレビ番組表に「発見5歳の島田奈美」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年5月23日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.922)および夕刊第16面(同前p.946)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年5月24日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.970)のテレビ番組表に「無免許奈美ちゃん」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年6月8日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.326)および夕刊第12面(同前p.346)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b c 「音楽」(『週刊TVガイド』1987.7.4-7.10)p.45(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年8月27日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.1082)および夕刊第20面(同前p.1102)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年8月31日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.1266)および夕刊第12面(同前p.1292)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年9月9日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年9月号p.386)および夕刊第16面(同前p.404)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年9月19日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年9月号p.838)および夕刊第16面(同前p.862)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年11月7日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年11月号p.300)および夕刊第12面(同前p.322)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年12月6日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.276)のテレビ番組表に「幸も知美も奈美もアイドル大集合」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1987年12月12日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.538)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年1月1日朝刊第44面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.44)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年1月24日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.1012)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年2月13日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年2月号p.536)および夕刊第12面(同前p.556)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年3月7日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年3月号p.300)および夕刊第20面(同前p.330)のテレビ番組表に「光ゲンジ・唯・知美・奈美卒業をテーマに歌う」として番組放送予定記載あり。
- ^ a b 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1988年第20号の番組表p.61に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月16日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月23日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b c d 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月30日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年6月4日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年6月号p.176)および夕刊第12面(同前p.192)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月23日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1988年第23号の番組表p.69に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年6月9日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年6月号p.416)および夕刊第16面(同前p.432)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年6月12日朝刊第14面(『読売新聞縮刷版』1988年6月号p.538)のテレビ番組表に「奈美のワンワン美容」として番組放送予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年6月13日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『朝日新聞』大阪版1988年6月21日朝刊第24面および夕刊第16面のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年6月20日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年8月8日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年7月18日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年8月8日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『ザテレビジョン 関西版』1988年第35号の番組表p.69に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b c 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年8月29日号)p.9に島田の出演予定記載あり。
- ^ a b 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年9月5日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年7月25日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年9月19日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年11月7日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1988年12月3日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年12月号p.140)および夕刊第16面(同前p.160)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ a b c 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年1月2日・9日号)p.9に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1989年第1号の番組表p.147に番組放送予定記載あり。ただし「島田奈美」の記載無し。
- ^ a b 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年2月20日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年1月30日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年3月13日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年5月29日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b c 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第21号)p.45(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。
- ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年4月24日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「WEEKLY CHASER」(『ORICON WEEKLY』1989年7月3日号)p.16に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b c 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第33号)p.45(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。
- ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年8月7日号)p.16に島田の「静岡放送の番組収録」予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1990年3月24日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年3月号p.1246)および夕刊第20面(同前p.1270)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 「WEEKLY CHASER」(『ORICON WEEKLY』1990年3月12日号)p.13に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 「WEEKLY CHASER」(『ORICON WEEKLY』1990年4月9日号)p.15に島田の収録予定記載あり。
- ^ a b 『読売新聞』1990年4月27日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年4月号p.1386)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 『読売新聞』1988年3月21日朝刊第14面(『読売新聞縮刷版』1988年3月号p.988)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 『読売新聞』1988年4月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年4月号p.492)および夕刊第20面(同前p.520)のテレビ番組表に「ロンドン発びっくりルポ島田奈美」として番組放送予定記載あり。
- ^ 『読売新聞』1988年12月18日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年12月号p.850)のテレビ番組表に番組放送予定と「島田奈美」の記載あり。
- ^ 茨城放送[23]、山陰放送[24]、山口放送[23][24]、四国放送[23][24]、南海放送[23][24]でネットされた。
- ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年4月10日号)p.17に予定記載あり。
- ^ コロムビアのディレクターから、「シングル曲を中心にしたベストはすでに出ているので、今の島田さんが選曲して作りたいコンピレーションにしてほしい」とのオファーを受け、シングル曲以外から選曲した[26]。
出典[編集]
- ^ a b c d 『BOMB!』1987年9月号, p.37。
- ^ a b c 『URECCO』1996年12月号, p.49。
- ^ a b c 『URECCO』1996年12月号, p.50。
- ^ 『宝島』2000年3月15日号, p.90。
- ^ 『BOMB!』1987年9月号, p.32。
- ^ 『BOMB!』1987年9月号, p.35。
- ^ a b 『BOMB!』1990年8月号, p.59。
- ^ 「気になるあの人 Vol.1」(『naoko@net』2006年10月27日)2008年7月24日時点のアーカイブ。
- ^ 「同じ名前同士で…」(『リポーターしまんだBLOG』2006年2月9日)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ 「島田奈央子さんと」(『リポーターしまんだBLOG』2007年11月26日)2007年12月5日時点のアーカイブ。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b c d 山田2012, p.343。
- ^ a b c d 山田2012, p.344。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h 山田2012, p.346。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ 「NHKクロニクル - 番組詳細検索結果」(『NHK ONLINE』)2019年11月3日時点のアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h 山田2012, p.350。
- ^ a b c d 山田2012, p.352。
- ^ a b c d e 「R・P NEWSパレット アイドル・プログラム・ニュース - フライングティーポット」(『ラジオパラダイス』1989年10月号)p.70。
- ^ a b c d e 「R・P NEWSパレット アイドル・プログラム・ニュース - フライングティーポット」(『ラジオパラダイス』1990年3月号)p.70。
- ^ 「IDOL INFORMATION」(『ORICON WEEKLY』1988年10月17日号)p.8。
- ^ 「島田奈美、最新ベストアルバム発売 島田奈央子、島田奈美を語る」(『CDJournal』2019年6月5日掲載)2019年6月6日時点のアーカイブ。
- ^ something jazzy.net
- ^ ワーナーミュージックジャパンリリース
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
- 島田奈央子の公式サイト「naoko@net」
- 島田奈央子 (naoko.shimada.Jazzy) - Facebook
- 島田奈央子 (@nao_somethingjazzy) - Instagram
- 島田奈央子 (@jazzy_naoko) - Twitter
- 信州ジャズ
- 島田奈央子のジャズライフ(2010年1月21日時点のアーカイブ)(NIKKEI NET「IT+PLUS」にて連載)
- 島田奈央子プロデュース Something Jazzy 公式サイト
- MEG-CD 島田奈美 - ウェイバックマシン(2010年8月21日アーカイブ分)
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