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島田一輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島田 一輝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1969-09-19) 1969年9月19日(55歳)
身長
体重
184 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト4位
初出場 1995年4月4日
最終出場 2005年9月28日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 北海道日本ハムファイターズ (2006 - 2007)

島田 一輝(しまだ かずてる、1969年9月19日 - )は、千葉県習志野市[1]出身の元プロ野球選手外野手、右投右打)・コーチスカウト

来歴

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プロ入り前

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千葉県立柏井高校から東京農業大学へ進学。一般入試での進学ではあったが、大沢紀三男監督に評価され1年秋季リーグからベンチ入りし、巧打の外野手としての活躍した。NTT関東では2年目から都市対抗野球に出場し1994年は補強の3番松中信彦、5番小笠原道大に挟まれて4番を打っている[2]。社会人通算打率.453、17本塁打[1]1994年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団[1]

プロ入り後

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即戦力として期待されていたが、当初は社会人時代までの金属バットの打ち方から抜け出せず、また、故障が続いたことから、二軍でも結果が残せない日々が続いた[3]1998年には打撃に専念するため内野手遊撃手)から外野手へ転向。

2000年、巡回コーチに就任した白井一幸から「右足から左足に移動させながら、足を使って打つ」打法を指導され、打撃の感覚を掴んだ[3]。6月に一軍昇格を果たすとそのまま定着する。持ち前の打撃センスを遺憾なく発揮してチームに貢献。特に松坂大輔斉藤和巳などの大物投手に強いため「ビッグバン打線」の5番打者を任されるようになり、右翼手の定位置を確保した。また、右方向へのバッティングも多く、普通の選手なら絶対に手を出さないような外角低めのスライダーを、右足を引きつつ腰砕けの状態で左手1本で外野手の前に運ぶこともしばしばあった。2003年には、1シーズンで10度もヒーローインタビューを受けたことから、『お立ち台男』の異名も付いた。

チームが北海道へ移転した2004年には代打の切り札として活躍し、チームのプレーオフ進出に貢献した。この年起こったプロ野球再編問題から発展した日本初のプロ野球ストライキ明けの初戦となった9月20日の対福岡ダイエーホークス戦(札幌ドーム)試合前に「一昨日、昨日と試合できなくてゴメンJoy」と称し、5人の同僚外野手で『秘密戦隊ゴレンジャー』のかぶりもの(仮面)を被ってシートノックを受けるというパフォーマンスを披露した(アカレンジャー:森本稀哲、アオレンジャー:島田、キレンジャー:新庄剛志、モモレンジャー:石本努、ミドレンジャー:坪井智哉[4]

2005年4月15日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)の6回表に、タッチアップした三塁走者の藤井彰人を本塁へのダイレクト返球で刺した際に右ふくらはぎを故障し、その後の怪我の調子も思わしくなく、同年限りで現役引退を決意。9月28日のペナントレース本拠地最終戦で引退試合が行われた[5]

現役引退後

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2006年から二軍打撃コーチに就任。2007年シーズン限りでコーチを退任し、プロスカウトに就任し、2012年まで務めた。

その後は川崎市スポーツDEPOにてアドバイザリースタッフを務め[6]、野球用品の販売やグラブの修理加工だけでなく、店内のヒッティングケージで、子どもを中心に指導を行っている[3]

選手としての特徴・人物

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勝負強い打撃で「ビッグバン打線」のクリーンナップを務めた強打者[3][7]

現役時代の最も印象に残る一打として、2003年の4月21日のダイエー戦で、9回表に杉内俊哉から放った代打逆転スリーランを挙げている[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1995 日本ハム 5 1 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1997 1 4 2 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 .500 .750 .500 1.250
1999 21 27 24 5 4 2 0 0 6 1 0 0 0 0 2 0 1 6 0 .167 .259 .250 .509
2000 80 297 268 34 71 15 0 6 104 46 1 1 9 3 14 0 3 52 8 .265 .306 .388 .694
2001 58 177 166 15 36 3 0 4 51 16 0 2 3 1 6 1 1 27 2 .217 .247 .307 .554
2002 18 56 44 5 9 3 0 0 12 1 0 2 5 0 5 0 2 8 4 .205 .314 .273 .586
2003 88 252 238 29 63 7 2 11 107 49 0 0 1 3 9 0 1 53 14 .265 .291 .450 .740
2004 88 235 206 23 56 11 3 5 88 37 1 1 1 3 21 1 4 55 3 .272 .346 .427 .773
2005 28 63 58 3 12 3 0 0 15 2 0 1 1 0 2 0 2 17 2 .207 .258 .259 .517
通算:9年 387 1112 1007 118 252 44 5 26 384 152 2 7 20 10 61 2 14 218 33 .250 .299 .381 .681

記録

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背番号

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  • 39 (1995年 - 2005年)
  • 79 (2006年 - 2007年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、270ページ
  2. ^ - 都市対抗野球大会80年史
  3. ^ a b c d e 新庄との「ゴレンジャー」も記憶に残る島田一輝氏。現在はスポーツ用品店で奮闘中!/パンチ佐藤の漢の背中! | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年7月18日閲覧。
  4. ^ 勝敗を分けた延長戦 日本ハム - 劇的サヨナラが一転、球界史上初の珍事nikkansports.com、2016年9月20日閲覧。 ※記事の本文の方では述べられているように、当試合は9回で終了している。
  5. ^ 男・島田在り”. きょうこのひとりごと. 2021年7月18日閲覧。
  6. ^ スポーツデポ 川崎店
  7. ^ 日本ハムの背番号「39」といえば「サモアの怪人」トニー・ソレイタ - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2021年7月18日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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