岩船寺

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岩船寺
Gansenji Kizugawa Kyoto pref Japan35n.jpg
本堂と阿字池
所在地 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
位置 北緯34度43分12.9秒 東経135度53分8.9秒 / 北緯34.720250度 東経135.885806度 / 34.720250; 135.885806座標: 北緯34度43分12.9秒 東経135度53分8.9秒 / 北緯34.720250度 東経135.885806度 / 34.720250; 135.885806
山号 高雄山
院号 報恩院
宗派 真言律宗
本尊 阿弥陀如来重要文化財
創建年 (伝)天平元年(729年
開山 (伝)行基
正式名 高雄山報恩院岩船寺
別称 アジサイ寺
札所等 仏塔古寺十八尊第4番
関西花の寺二十五霊場第15番
神仏霊場巡拝の道第129番(京都第49番)
文化財 三重塔・木造阿弥陀如来坐像ほか(重要文化財)
公式HP 岩船寺/公式HP
法人番号 4130005008402 ウィキデータを編集
岩船寺の位置(京都府内)
岩船寺
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三重塔(重要文化財)

岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗寺院山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊阿弥陀如来開山行基と伝える。アジサイの名所として知られる。

歴史[編集]

岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、南山城は地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強い。近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた[1]

「岩船寺縁起」によると当寺の創建は、天平元年(729年)に聖武天皇出雲国不老山大社に行幸した際の発願によって大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(鳴河寺)にいた行基がその境内に阿弥陀堂を建立したことに始まる。

大同元年(806年)、空海とその甥であり弟子でもあった智泉が、善根寺に灌頂堂として報恩院を建立する。この報恩院が岩船寺の直接の草創であるとする。

そこに、嵯峨天皇が智泉に命じて皇子誕生の祈願をさせたところ弘仁元年(810年)に正良親王(仁明天皇)が誕生し、弘仁4年(813年)には檀林皇后(橘嘉智子)が本願となって堂塔伽藍が整備された。この時に寺号を岩船寺と改めている。 弘安2年(1279年)に寺基を現在地に移し、弘安8年(1285年)には落慶供養が行われている。

以上の伝承はそのまま史実とは考えがたいが、『弘法大師弟子伝』(貞享元年・1684年成立)には、大同年間(806年810年)、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が皇子の誕生を祈願して報恩院を建立し、智泉が呪願(願文を読む僧)を務めたとある。

その後、承和年間(834年848年)に仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで三重塔を建立したとされる。

岩船寺本尊阿弥陀如来坐像の像内には天慶9年(946年)の銘があるが、この像が当初から岩船寺の本尊であったという確証はない。「岩船寺」の寺号の存在を示す最も古い記録は、寺の西方にある岩船不動明王磨崖仏(通称一願不動)の銘記で、そこには弘安10年(1287年)の年記とともに「於岩船寺僧」の文字がみえる。この年号は、上記寺伝にいう岩船寺落慶供養の年(弘安8年・1285年)に近く、鳴川にあった「報恩院」がこの頃現在地に移った可能性を示唆している[2]

鎌倉時代には子院39坊を誇ったが、承久3年(1221年)の承久の乱により堂塔の大半が焼失する。その後、再建するがも応長元年(1311年)にまたもや兵火によって消失し、衰微してしまう。

しかし、江戸時代になって文了律師の勧進や幕府将軍徳川家康徳川秀忠父子の支援もあり寺内の整備が行われている。

岩船寺は近くの浄瑠璃寺と共に長く興福寺一乗院の末寺であったが、明治時代の廃仏毀釈によって岩船寺は無住となってしまう。1881年(明治14年)、真言律宗西大寺の末寺となった。

境内[編集]

本堂
  • 本堂 - 1988年昭和63年)に再建された建物で、平安時代阿弥陀如来坐像が安置されている。
  • 三重塔重要文化財) - 室町時代嘉吉2年(1442年)に建立された三重塔で、初重の内部には来迎柱を立て、須弥壇と来迎壁を設ける。各層の屋根を支える四隅の垂木には天邪鬼である隅鬼が彫刻されている。
  • 鐘楼 - 報恩の鐘とも呼ばれる。
  • 庫裏
  • 山門
  • 十三重石塔(重要文化財) - 13個の笠石を積み重ねた高さ6.3mの十三重塔。鎌倉時代。
  • 五輪塔(重要文化財) - 鎌倉時代
  • 石室不動明王立像(重要文化財) - 花崗岩製。奥壁には不動明王像を刻み、手前左右に2本の角柱を立て、これらで寄棟屋根を支える。応長2年(1312年)の銘がある。
  • 厄除け地蔵菩薩
  • 開山堂
  • 歓喜天堂

山門の石段前には岩船寺の僧が身を清める為に使用したとされる石風呂がある。山門の西側には岩船寺の鎮守であった室町時代建立の白山神社(重要文化財)と摂社である春日神社(京都府登録有形文化財)の社殿が並んで建っている。その白山神社に奉納される「おかげ踊り」は京都府登録無形民俗文化財である。

文化財[編集]

十三重石塔
(重要文化財)

重要文化財[編集]

  • 三重塔
  • 十三重石塔
  • 五輪塔
  • 石室不動明王立像
  • 木造阿弥陀如来坐像
岩船寺の本尊で、定印を結ぶ阿弥陀如来像である。本堂に安置。像高284センチ。明治期の修理の際に、像内に多数の墨書が発見され、その中に「□□九年丙午九月二日丁丑」と読める墨書がある。年号の部分は判読不能だが、「□□九年」が丙午、「九月二日」が丁丑にあたるのは天慶9年(946年)であることから、同年の作と判明する。10世紀の在銘基準作例として貴重である。像高2.8メートルを超す坐像の頭・体の根幹部を一材から彫出する。太造りの体躯や一木造の構造は平安初期彫刻に通じる要素だが、衣文は彫りが浅く図式的な平安後期の作風に近づいており、平安前期から後期への過渡期に位置する像である[3]
  • 厨子入木造普賢菩薩騎象像 - もと三重塔に安置。像高39cmの小像で平安時代後期の作である。

京都府指定文化財[編集]

  • 木造四天王立像-本堂に安置。多聞天像台座裏に正応6年(1293年)の銘がある[7]

木津川市指定文化財[編集]

  • 岩船寺縁起-「寛永九年(1632年)十月十四日 法印心継」の奥書がある

アクセス[編集]

  • JR大和路線加茂駅から木津川市コミュニティバス当尾線で約15分、「岩船寺」下車すぐ
  • JR奈良駅近鉄奈良駅から奈良交通バス「岩船寺口」下車、徒歩25分。又は、急行浄瑠璃寺行きで約25分、終点「浄瑠璃寺」にて当尾線加茂駅行きに乗換え約6分「岩船寺」下車すぐ

脚注[編集]

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  1. ^ 『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、p.4; 『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、p.2
  2. ^ 『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、pp.99 - 100; 『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、pp.70 - 72
  3. ^ 『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、pp.102 - 109; 『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、pp.72 - 74
  4. ^ 『当尾の石仏めぐり』、p.53
  5. ^ 『当尾の石仏めぐり』、p.55
  6. ^ 『当尾の石仏めぐり』、p.58
  7. ^ 『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、p.114

参考文献[編集]

  • 肥田路美『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、保育社、1987
  • 近畿文化会編『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、綜芸舎、1990
  • 中淳志『当尾の石仏めぐり』、東方出版、2000

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ^ 奈良寺社ガイド