岩田年浩

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岩田 年浩(いわた としひろ、本名: 山名 年浩(やまな としひろ)、1946年1月14日 - )は、日本のマクロ経済学者。経済学博士。企業や学校法人、財団法人、社会福祉法人の顧問も務める。専門は、経済成長論経済学教育論経済教育学会より、平成17年に教育実践賞、令和4年に功労賞を受賞。全国講演650回(―令和6年3月現在)。「 (各地の生涯学習センターや市民大学での毎週の講演は37歳から毎週続けているが、これらは講演数には入れていない。) 」(昭和33年10月、全国読書感想文コンクールにおいて、「本多 顕彰の『文章作法』を読んで」が全国4位に入賞、他、『毎日小学生新聞』『毎日中学生新聞』に作文や詩の掲載は20回を超えた。)

京都市出身。これまでに関西大学教授、京都経済短期大学学長、経済教育学会会長、文部科学省現代社会問題審議委員などを歴任。全国山名氏一族会会長(備後山名家当主:山名宗全から数えて27代目、清和天皇から数えて46代目)でもある。

略歴[編集]

1946年1月14日、京都府京都市に生まれる。戸籍名は山名年浩(やまなとしひろ)。父方の姓は岩田、母方の姓は山名。父は西日本軽金属鋳物工業組合・理事長で、大阪中小企業団体中央会の設立メンバーでもあった岩田年之助(通産大臣表彰2回、中小企業長官表彰1回、大阪府知事表彰3回)。祖父は浄土真宗本願寺派の全国門徒総代・京都商議所常議員で、真宗生命保険(現、大同生命保険)の創業者の一人である岩田幸七(大同生命保険の設立メンバーでもある)。

学歴[編集]

職歴[編集]

学外における役職[編集]

全国山名氏一族会会長・相談役のほか、1999年 広島大学高等教育研究開発センター客員研究員、2001年 静岡大学人文学部外部評価委員、2002年 文部科学省現代社会問題審議委員、2004年 金沢大学経済学部非常勤講師、2004年 中国・重慶工学院客座教授、2005年 兵庫県立大学大学院経済学研究科非常勤講師、2005年 中国・大連理工大学客座講師、2005年 中国・大連海事大学客座講師、2006年 中国・清華大学経済管理学院客座講師、2008年 経済教育学会 会長

著書[編集]

単著[編集]

  • 『資本主義の不安定性と分配問題』(学文社 1985年)
  • 『もうひとまわり賢くなる経済知識』(学文社 1985年)
  • 『経済学ゼミナール』(日本実業出版社 1993年)
  • 『経済学教育論の研究』(関西大学出版部 1997年)
  • 『実況中継 大学の経済学・ダイナミック経済学』(窓社 1999年)
  • 『教授が変われば大学は変わる』(毎日新聞社 2000年)
  • 『科学が明らかにした投資変動の予測力』(学文社 2004年)
  • 『知って役立つマネーの話』(日刊工業新聞社 2010年)
  • 『学長奮闘記―学長変われば大学変えられる』(東信堂 2017年)
  • 『日本史の変動と名言摘録』{吉備人出版 2022年} 山名年浩名での書

共著[編集]

  • 『中学校公民教科書』(帝国書院 1993年)
  • (菊本義治)『国際調整の経済学』(実教出版 1993年)
  • (辻正次、田岡文夫)『現代・国際マクロ経済学』(多賀出版 1993年)
  • (岡本正志)『科学史』(建帛社 2000年)
  • (水野英雄編著)『教員養成における経済教育の課題と展望』(三恵社 2012年)

訳書[編集]

  • 『経済を学ぶ、経済を教える』(ミネルヴァ書房 1988年)
  • 『チャイナパワーの秘密』(晃洋書房 2002年)
  • 『キャンパスの追憶』{学文社 2010年} 風早悟名での著

岩田年浩の経済学研究の特徴[編集]

  • 岩田は資本制の市場経済の調整機能は不完全であるというケインズ学派の立場に立つ。体系の不安定性の原因が投資関数の存在にあることを証明し、さらに、こうした経済の不安定性が偶発事やタイムラグに起因するものではなく、資本制のもつアンチノミーから生ずることを見る点で、マルクス学派との接点があった。この点で、置塩信雄の視角とも共通点をもつ。
  • この観点から、投資行動を中心とした不安定性が現実にはどのように生じているかの分析に進む。具体的には、1.株価変動における逆ウォッチ曲線での実証、2.移動勾配図による変動の上下での転換点の予測、3.ポアンカレ平面上での安定化作用と不安定化作用が多く見られることの発見、4.一つの経済変数の移動勾配を繰り返し取った場合の三次元図で右下がりの薄い局面が現れることの発見、5.経済数値をフーリエ変換して音を発生させ回復力あるデータの発掘をしてきた。経済データの音を発生させたのは彼が最初の人である。実験分野で移動勾配を繰り返しとることと微分の理論面との共通性を見た点がこの成果を生んだ。また、戦後日経平均株価と出来高の逆ウォッチ曲線の分析の図示もなしている。つまり、マクロ経済理論の実証・実験に貢献してきた。また、新古典派的な生産関数を日本の自動車産業において示すとどうなるかを三次元平面で実証した。新古典派や新しい古典派とは異なるリアリスティックな研究をなしている。

岩田年浩の教育の特徴[編集]

『経済学教育論の研究』はわが国で未開拓分野だった経済学分野の確立を成し遂げた。これが学位論文として、学会において高く評価されたのである。

この博士論文(著書)では、「第1部 日本における経済学教育論の形成小史(明治初期から現代まで)、第2部 諸外国における経済学教育の実態(英米中露) 第3部 経済学教育論の課題と方法―何を(内容)、どのように(方法)、どこまで(発達段階に応じて)教えるべきかーの構成内容となっている。経済と教育の学際的研究成果と言える。

岩田は次のような手法を用いる。

  • 経済理論の実証的成果と理論の関連を結んで理解できるように教材を仕上げる。
  • 学生がどこで経済知識を誤解したり、嫌になるかについて、(かつては質問票の回収)電子メールの受信での回収・分類と回答を積み重ねることによって、説明を丁寧にする。
  • 対立する政策やイデオロギーを提示して、考えようというきっかけを与える(特に授業の最初で)。
  • 発問はあらかじめ用意する。集中していない学生には考えやすい問いかけをしていく。
  • 元々大講義が得意な彼は、立って話す、しっかりした声を出す、(ビジュアルさに敏感な現代の学生に向けて)機器類を用いる(ただし、副次的に)、教室内ではワイヤレスマイクを持って動く、学生の反応がよくなかった授業の場合は何がよくなかったのかを省みて対応するなどである。
  • これらの分析を可能にしたのは、彼自身が大学での講義において学生を引き付ける実践から自信を得てきたことにある。

晩年の歴史研究[編集]

  • 自身の先祖山名氏の研究は「清和源氏諸流略系図一覧」や「山名氏年表」{850年 嘉祥3年から1416年 応永24年に及ぶ566年間}を丹念に仕上げている。これらは但馬の法雲寺のホームページに記載されている。
  • 彼が77歳の時に、長年書き溜めていた、日本史の経済的歩みと人物の名言の関連をまとめた、『日本史の変動と名言摘録』を出版している。47万字に及ぶ書である。通常の歴史書とは異なる両者の関連で貫かれている。

岩田年浩の大学発展作戦の特徴[編集]

  • 複数の教員を束ねる、オムニバス講義では「京都」「学び」「利益」などのテーマを専任教員を中心に、躍動感のある授業を目指して進めてきた。また、複数の教員が教檀に上がり、討論する場面も企画し、教員間の論議を進めてきた。他大学にはほとんどない企画である。
  • 全国の短大の80%、四年制大学の55%が定員割れを生じている中で、京都経済短期大学において、3年で定員を大きく超える実績を上げた。文部科学省はこの短期大学には学生募集定員の増加を認めた。それは学長自身が学生の進学先や就職先や高校への特徴アピールに獅子奮迅の行動をしたからである。

外部リンク[編集]