岩淵辰雄

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1954年

岩淵 辰雄(いわぶち たつお、1892年1月10日 - 1975年6月6日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。

経歴[編集]

宮城県出身。早稲田大学文科を中退。1928年から自由通信社、国民新聞読売新聞東京日日新聞の政治記者。その後は政治評論家として雑誌『中央公論』・『改造』で執筆活動を行った。

1945年近衛文麿を中心とする、いわゆる「ヨハンセングループ」による早期終戦の和平工作に参加し「近衛上奏文」の草稿作成に関与したが、このため同年4月に吉田茂殖田俊吉とともに憲兵隊に逮捕される(このさい憲兵からは「イワン」の暗号名で呼ばれていた)。その後釈放され、敗戦直後には日本人による自主的な憲法改正(新憲法制定)をめざし近衛に憲法改正案を作成するよう説得する。しかし彼の案が保守的内容であったことに失望し、11月、高野岩三郎を中心とする憲法研究会に参加、民間からの改正案作成に従事することとなった。彼の改憲構想は天皇から大権を除去して国民主権を実現し天皇は象徴的存在にとどめるというもので、同年末、研究会はその案を盛り込んだ「憲法草案要綱」を発表した(その後「要綱」は、これを入手したGHQによって検討され「マッカーサー草案」の内容に影響を及ぼした)。その一方で岩淵は行政機構に民間人を採用するよう新聞などで提言した。

1946年には貴族院勅選議員に選ばれるとともに読売新聞に復帰し主筆になる。その後友愛で有名な『自由と人生』の出版を働きかけ、関西に旅行しようとする鳩山を三木武吉に引き合わせるなど鳩山一郎のブレーンとなって、第1次鳩山内閣の実現に力を尽くした[1]原子力基本法にも深く関わっており、三木に中曽根康弘の抜擢を後押ししたとされ、科学技術庁の顧問を務めた。1962年国鉄理事。1975年に死去(享年83)。

著書[編集]

  • 「屑屋政談_随筆」(1940年)
  • 「重臣論」(1941年)
  • 「敗るゝ日まで」(1946年)
  • 「対支外交史論」(1946年)
  • 「政界五十年史」(1947年)
  • 「軍閥の系譜」(1948年)
  • 「今日の政党」(1949年)
  • 「犬養毅」(1958年)

脚注[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]