岩本観音 (宇都宮市)

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岩本観音
岩本観音
岩本観音
所在地 栃木県宇都宮市新里町岩本[1]
位置 北緯36度37分10.0秒 東経139度49分42.5秒 / 北緯36.619444度 東経139.828472度 / 36.619444; 139.828472座標: 北緯36度37分10.0秒 東経139度49分42.5秒 / 北緯36.619444度 東経139.828472度 / 36.619444; 139.828472
山号 普門山[2][3]
宗旨 真言宗[1][4]
本尊 馬頭観世音菩薩[1]
創建年 不詳[2][3]
正式名 普門山蓮華寺[2][3]
札所等 下野三十三観音霊場 第三十三番[1]
文化財 日本遺産[5]
宇都宮市民遺産(みや遺産)[6]
岩本観音 (宇都宮市)の位置(栃木県内)
岩本観音 (宇都宮市)
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岩本観音(いわもとかんのん)または岩本の磨崖仏(いわもとのまがいぶつ)は、栃木県宇都宮市新里町岩本[注 1]にある磨崖仏明治初期に廃寺となるまでは普門山蓮華寺の境内で、下野三十三観音霊場の第三十三番、すなわち結願の地であった[2][4][9]日本遺産「地下迷宮の秘密を探る旅 〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜」を構成する文化財の1つである[5]

境内[編集]

旧境内地の入り口には鳥居がある[3]。これをくぐり[3]、坂を上ると[2]、岩本地区の集会所が建つ[3]。集会所は蓮華寺の本堂があった場所に建ち[2]、内部に聖観世音菩薩を安置する[10]

集会所の先に大谷石[注 2]でできた60段ほど[注 3]の石段が山の上に伸びている[3][13][4]。石段は苔むし、一部が崩れて危険な状態だったため[13][4]、岩本地区が1990年代頃に[3]手すりを設置した[3][4]。再整備前は石段の両側がの木立に囲まれ、幻想的な雰囲気を醸していた[3]

石段を上りきると、蓮華寺の奥の院跡である[3][13]、60 m2ほどの[13]小さな平坦地が現れる[3]。左手に6体の石仏が岩肌をくり抜いたくぼみに安置され、正面の岩肌の洞窟に磨崖仏がある[9]

洞窟には鉄の扉が取り付けられ[8]、その奥の龕(がん、仏像を納める厨子)に[4]2体の像がある[4][8]。向かって右側の像が馬頭観音、左側の像が地蔵菩薩であり[8][11][14]、2体が並立することから、健康祈願と野仏信仰が結び付いたものと考えられている[14]大谷磨崖仏(大谷観音)[注 4]を模して地元の石工江戸時代後期に彫ったものとされ[10][14]、彫像技術は稚拙である[4]。大谷観音と比べると、岩本観音の知名度は低く、小さな像[注 5]ではあるが、住民らによって手厚く祀られている[8]

歴史と再興に向けた取り組み[編集]

岩本地区が整備した手すりのある石段

明治時代の初期に廃仏毀釈により[4]廃寺となったため、普門山蓮華寺という寺の名前以外、寺の歴史などは一切不明である[2][3]。廃寺後も本堂の建物は朽ちた状態で残っていたが[4]1960年代頃に取り壊され、跡地に岩本地区の集会所が建てられた[2][4]

第二次世界大戦後に、下野三十三観音霊場めぐりを再興しようとする活動が起きた際には、結願の地である蓮華寺の位置が人々から忘れ去られ、発見に苦労したという[13]。再発見後は巡礼者が現れ、1990年代初頭には年間100人超が訪れていた[13]。巡礼者の安全のため、岩本地区は手すりを石段に設置した[3]。2022年(令和4年)現在は、守る会が発足し、境内地の再整備を進めている[10]

2018年(平成30年)5月24日、「地下迷宮の秘密を探る旅 〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜」が日本遺産に認定され[16]、岩本観音がその構成文化財の1つとなった[5]2022年(令和4年)2月22日、岩本自治会が申請していた「岩本観音と地域の伝統行事」が宇都宮市民遺産(みや遺産)に認定された(認定番号:12)[6][17]。名称の通り、岩本地区で継承されている3つの伝統行事と合わせて、みや遺産の認定を受けた[6]。同年3月20日には、みや遺産に認定された行事の1つである雷電神社祭梵天奉納が岩本観音で行われた[12]

周辺[編集]

整備された駐車場

宇都宮市立国本中学校付近の栃木県道22号大沢宇都宮線上の交差点から北西方向に伸びる市道(岩本街道[11])に入り、案内板に沿って進むと、大谷石でできた岩山が現れ、そこが蓮華寺の跡地である[3]。再整備前は駐車場がなく、路上駐車をせざるを得なかった[3]が、2022年(令和4年)までにカエルの像に囲まれた5台程度駐車可能な駐車場が整備された[10]公共交通機関で訪れる際の最寄りのバス停は「仁良塚」で[4][13]、そこから徒歩15分(≒1.1 km[4])である[13]

岩本観音のある岩山では、大谷石の切り出しが行われ、元の山の3分の1ほどが削り取られたという[18]。岩本観音境内とその周辺の岩山には、石塔・石仏が点在する[10]。磨崖仏がある洞窟には鍵付きの鉄扉が取り付けられ、中に入ることはできないが、鉄格子の隙間から石像を拝むことができる[4]

東へ約300 m 離れたところに鈴木酒店があり[3]、納経所の役目を引き受けている[2][3]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 岩本は新里町に属する[1][7]が、所在地を「岩原町」と記す文献がある[4][8]
  2. ^ より厳密には、大谷石の1種である「岩原石」である[4]
  3. ^ 宇都宮市教育センターは100段以上[11]、2022年(令和4年)の下野新聞報道では92段としている[12]
  4. ^ 大谷観音は、岩本観音の1つ前である32番目の下野三十三観音霊場札所である[15]
  5. ^ 像高は1 m ほどである[11]
出典
  1. ^ a b c d e 伊藤・早乙女・西島 1998, p. 76.
  2. ^ a b c d e f g h i 下野新聞社学芸部 1992, p. 66.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 伊藤・早乙女・西島 1998, p. 77.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 塙 2008, p. 222.
  5. ^ a b c 宇都宮市. “地下迷宮の秘密を探る旅 〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜”. 日本遺産ポータルサイト. 文化庁. 2023年1月2日閲覧。
  6. ^ a b c 令和3年度 みや遺産(宇都宮市民遺産)を認定しました”. 宇都宮市教育委員会事務局 文化課 文化財保護グループ (2022年3月31日). 2023年1月2日閲覧。
  7. ^ 自治会一覧”. 宇都宮市自治会連合会. 2023年1月2日閲覧。
  8. ^ a b c d e 宇都宮市教育委員会社会教育課 編 1989, p. 20.
  9. ^ a b 伊藤・早乙女・西島 1998, pp. 76–77.
  10. ^ a b c d e mizuka (2022年4月17日). “岩本の磨崖仏 私のイチオシ!隠れた名所です”. YAMAP. ヤマップ. 2023年1月2日閲覧。
  11. ^ a b c d エリア15 岩本観音”. 宇都宮市教育センター. 2023年1月2日閲覧。
  12. ^ a b 岩本観音に伝統の梵天 「みや遺産」認定後初奉納”. 下野新聞社 (2022年3月21日). 2023年1月2日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h 下野新聞社学芸部 1992, p. 67.
  14. ^ a b c 観光情報 国本エリア”. ほくせいネット. 宇都宮北西部活性化ネットワーク地域協議会. 2023年1月2日閲覧。
  15. ^ 塙 2008, p. 223.
  16. ^ 「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました”. 宇都宮市教育委員会事務局文化課文化財保護グループ (2021年1月27日). 2023年1月2日閲覧。
  17. ^ 中村尚徳 (2022年3月3日). “エソジマモチ、野口雨情旧居など4件認定 宇都宮市教委”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2023年1月2日閲覧。
  18. ^ 下野新聞社学芸部 1992, pp. 66–67.

参考文献[編集]

  • 伊藤みどり・早乙女京美・西島たかえ 著、下野新聞社 編『下野三十三観音札所としもつけの民話四十八』下野新聞社、1998年4月11日、175頁。ISBN 4-88286-090-2 
  • 宇都宮市教育委員会社会教育課 編『宇都宮の旧跡』宇都宮市教育委員会〈文化財シリーズ第10号〉、1989年3月25日、107頁https://utsunomiya-8story.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/10_kyusek.pdf 全国書誌番号:90025622
  • 下野新聞社学芸部 著、下野新聞社 編『下野三十三札所巡りと小さな旅』下野新聞社、1992年6月13日、248頁。ISBN 4-88286-023-6 
  • 塙静夫『うつのみや歴史探訪 史跡案内九十九景』随想舎、2008年9月27日、287頁。ISBN 978-4-88748-179-4 

外部リンク[編集]