岩崎万次郎

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岩崎万次郎

岩崎 万次郎(旧字体では萬次郎、資料によっては万二郎[1]とも。いわさき まんじろう、1852年嘉永5年)7月[2] - 1911年明治44年)8月2日[2])は、日本の政治家実業家。自由民権家として知られた。

経歴[編集]

栃木県都賀郡佐川野村(現・下都賀郡野木町大字佐川野)出身[3][4][注 1]。1876年(明治9年)に栃木県師範学校卒業後、明治法律学校に学ぶ。日本木材株式会社を設立し、社長に就任。

1879年(明治12年)、佐川野村戸長に就任し、1883年には近隣の川田村・南赤塚村・若林村の戸長も兼務した[3]。この間、1881年(明治14年)には自由党に入党、翌1882年には栃木自由党を結成・入党している[3]

1884年(明治17年)6月に栃木県会議員に初当選[3]。しかし自由党急進派による自由民権運動の激化に巻き込まれる形で、1884年の加波山事件1885年大阪事件にそれぞれ関与したとみなされ、都度逮捕・勾留された[3][5]。これを受けて、1886年に岩崎は県会議員を辞任するも、免訴処分となったため同年に再任となった[3][6]

1890年(明治33年)7月、第1回衆議院議員総選挙に栃木県第二区から出馬して当選すると、次の第2回総選挙でも当選して衆議院議員を二期務めた[2]。しかし、第3回総選挙第4回総選挙はともに新井章吾田村順之助に敗れ落選した[3]

自由倶楽部、同志倶楽部、立憲革新党[3]立憲自由党[3]改進党[3]進歩党憲政本党[3]などに所属。自由民権運動を推進するなかで、足尾鉱毒事件では被害補償に向け尽力した。

家族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国会議員名鑑. 中西治助. (1890-07). p. 8. NDLJP:779618. 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『野木町史 歴史編』681 頁。
  4. ^ a b c d 公民館 館報ふれあい 129号 - 広報のぎ 2009年6月号(Vol.453) (PDF)”. (公式ウェブサイト). 野木町、野木町公民館(館報編集委員会事務局). p. 3 (2009年6月). 2017年4月7日閲覧。
  5. ^ 『野木町史 歴史編』685 - 687 頁。
  6. ^ 『野木町史 歴史編』688 頁。
  7. ^ 山口好一”. 新訂 政治家人名事典 明治~昭和(コトバンク所収). 2017年4月7日閲覧。
  • 注釈
  1. ^ 野木町出身の国会議員経験者は2009年時点で岩崎のみである[4]

参考文献[編集]

  • 斎藤英子「自由民権家 岩崎万次郎」、『日本古書通信』第46巻第12号、日本古書通信社、1981年、 4-6頁、 ISSN 03875938NDLJP:3362942
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』 衆議院・参議院、大蔵省印刷局、1990年11月NDLJP:9673686
  • 野木町史 歴史編』 野木町史編さん委員会、野木町、1989年