岡田重孝

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岡田重孝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 天正12年3月6日1584年4月16日
改名 助三郎→重孝
別名 直景、秀重、直孝、吉冬
官位 長門守
主君 織田信長織田信雄
氏族 岡田氏清和源氏満政流山田氏支族)
父母 岡田重善
兄弟 重孝善同
重政

岡田 重孝(おかだ しげたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。尾張星崎城主。

生涯[編集]

はじめ織田信長に仕え、馬廻。天正元年(1573年)8月の朝倉軍追撃戦で父と共に活躍したという[1]。信長が本能寺の変で横死すると、その次男・織田信雄の家臣として仕えた。天正11年(1583年)、父の死去により家督を継いで当主となる。同年、12月23日には大坂城津田宗及邸で行われた茶会で秀吉と同席している。このころから羽柴秀吉(豊臣秀吉)と親しかったという[2]

浅井長時津川義冬らと共に三家老として信雄をよく補佐し、秀吉からもその器量を認められていた。しかし秀吉との内通を信雄から疑われ、長時や義冬らと共に天正12年(1584年)3月6日に信雄によって伊勢長島城に呼び出されて殺害された。

脚注[編集]

  1. ^ 甫庵太閤記』・『当代記
  2. ^ 『宗及記』

関連項目[編集]