岡山県立倉敷天城中学校・高等学校

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岡山県立倉敷天城中学校・高等学校
Okayama prefectural Kurashikiamaki junior high school and the high school front.jpg
過去の名称 私立関西中学校天城分校
私立天城中学校
岡山県天城中学校
岡山県立天城高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岡山県の旗 岡山県
校訓 質実剛健、勤勉力行、不撓不屈
設立年月日 1906年
創立者 大塚香
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 2学期制
高校コード 33111C
所在地 710-0132
岡山県倉敷市藤戸町天城269番地
外部リンク 公式サイト(中学校)
公式サイト(高等学校)
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岡山県立倉敷天城中学校・高等学校(おかやまけんりつ くらしきあまきちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、岡山県倉敷市藤戸町天城にある県立中学校高等学校

概要[ソースを編集]

併設型中高一貫校。文部科学省によるスーパーサイエンスハイスクール(SSH)研究指定校。

創立100周年を超える伝統校。かつて倉敷青陵高校倉敷南高校倉敷古城池高校の四校間で総合選抜を行っていた名残で、今でも倉敷四校の総称が使われることも多い。

また、私立学校として創立した為、創立者(鉄軒大塚香)が存在する全国的にも珍しい公立学校であり、学校敷地内の「鉄軒会館」前には鉄軒大塚香の業績を後世に伝えるため 1920年(大正9年)に建立された大塚君碑がある。碑文および題字は後に総理大臣にもなった岡山県出身政治家の犬養毅によるものである。 また、現在でも学校には大塚鉄軒が残したと言われる「鉄軒精神」という言葉が残っており、その中に質実剛健と不撓不屈、勤勉力行がある。

沿革[ソースを編集]

  • 1906年(明治39年) - 私立関西中学校(現在の関西高等学校)天城分校として開設される。
  • 1908年(明治41年) - 私立天城中学校として独立。
  • 1921年(大正10年) - 岡山県天城中学校に改称。
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により、岡山県立天城高等学校と改称、定時制岡山県天城高等学校を併設する。
  • 1950年(昭和25年) - 家庭課程を併置。
  • 1951年(昭和26年) - 併設の定時制岡山県天城高等学校を岡山県天城桜山高等学校と改称。
  • 1954年(昭和29年) - 併設の定時制岡山県天城桜山高等学校を組合立岡山県天城高等学校と改称。
  • 1956年(昭和31年) - 併置の家庭課程を廃止。
  • 1960年(昭和35年) - 併設の組合立岡山県天城高等学校を廃止。
  • 1962年(昭和37年) - 倉敷青陵高校との間に総合選抜を実施。
  • 1974年(昭和49年) - 合格者の総合選抜に倉敷南高校が加わり、三校総合選抜となる。
  • 1980年(昭和55年) - 合格者の総合選抜に倉敷古城池高校が加わり、四校総合選抜となる。
  • 1999年(平成11年) - 総合選抜を廃止。理数科を設置。
  • 2005年(平成17年) - 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)研究指定校となる。
  • 2006年(平成18年) - 創立100周年を迎える。
  • 2007年(平成19年) - 岡山県立倉敷天城中学校を併設。普通科が単位制になる。

教育[ソースを編集]

中高一貫校化に伴って、大学進学重視をさらに鮮明に打ち出しており、中高一貫の1期生の卒業時の難関大学合格者数の向上を目標としている。

理数教育に力を入れており、スーパーサイエンスハイスクールにも指定されている。

進路[ソースを編集]

平成27年度卒業生の進路は国公立大学へ155名(現役123名)が合格し、特に地元の岡山大学へ最も多い33名が合格している。
近年は東大や京大へも毎年数名の合格者を出し、平成26年度は東大に4名、京大に4名合格している。[1][2]

著名な卒業生[ソースを編集]

交通アクセス[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 進路状況 岡山県立倉敷天城高等学校
  2. ^ 2016学校案内 岡山県立倉敷天城高等学校

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]