岡中勇人

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岡中 勇人 Football pictogram.svg
名前
愛称 オカチュウ
カタカナ オカナカ ハヤト
ラテン文字 OKANAKA Hayato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-09-26) 1968年9月26日(48歳)
出身地 広島県
身長 186cm
体重 85kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992
1993-2001
2002-2005
松下電器
ガンバ大阪
大分トリニータ
13 (0)
143 (0)
84 (0)
代表歴2
1998 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2005年12月5日現在。
2. 2005年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岡中 勇人(おかなか はやと、1968年9月26日 - )は広島県出身[1] の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションゴールキーパー。前日本文理大学サッカー部監督。

来歴[編集]

選手として[編集]

兵庫県生まれだが、5歳の頃に広島県に転居し、11歳からは福岡県で育った。県内の強豪高である東海大第五高校から東海大学に進学。大学卒業後の1991年松下電器産業サッカー部に加入し、翌年から同サッカー部が母体となったJリーグガンバ大阪に所属した。

1993年Jリーグ開幕節前から本並健治と正ゴールキーパーの座を巡って熾烈な争いをしていたが、しばらくはベンチを温める状態が続いた。本並が腎臓破裂の重傷を負い、長期離脱中は正GKとしてゴールを守り続けた。1994年に本並が復帰すると再びベンチを温める時期が続いたが、1996年シーズン途中に本並からポジションを奪い返し、1997年に本並がヴェルディ川崎に移籍した後も絶対的守護神としてゴールを守り続けた。1998年には岡田武史フィリップ・トルシエの両監督からいずれも日本代表に招集された。しかし、2000年に病気の影響で開幕から離脱している間に都築龍太にポジションを奪われる。復帰後も都築からレギュラーを奪った松代直樹が正GKを務めていたため出場機会が激減し、2002年にJ2の大分トリニータへ移籍。G大阪には松下電器時代から数えて11シーズン在籍した。

大分では加入直後から正GKとして君臨し数々の好セーブを連発。大分サポーターからは「」と称された。チームは2003年にJ1昇格。2003年2ndステージ、残留争い真っ只中での第11節の京都パープルサンガ戦で決定的なPKを阻止し、1-0で勝利。この勝利がクラブにとって2ndステージ唯一の勝利(1勝8分6敗)となるが、最終的に年間16位(最下位)でJ2降格した京都とは勝ち点3差、15位だったベガルタ仙台とは僅か勝ち点1差の14位でJ1に残留した。2ndステージは最下位ながらチームを最小失点に導いており、J1昇格から僅か1年で降格しかねなかったチームを救った立役者として評価されている(なお最終節は残留を争った仙台との直接対決で引き分けており、この試合で残留を決めている)。

2004年鹿島アントラーズから加入した高嵜理貴にレギュラーを奪われ、2005年江角浩司と高卒新人の西川周作の台頭もあって出場機会が激減。同年11月25日をもって現役引退を表明した。

指導者として[編集]

引退後の2006年から大分トリニータのU-15・U-12GKコーチを2年間務めた。

2008年大分県日本文理大学サッカー部監督に就任。4年間指揮を執ったが、2011年度をもって、由利繁弘コーチの監督昇格に伴い退任[2]

2012年大阪府大阪学院大学のコーチに就任した。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロアマ経歴

指導歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 松下 30 JSL1部 3 0 - - 3 0
1991-92 26 10 0 0 0 0 0 10 0
1992 G大阪 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 20 0 7 0 1 0 28 0
1994 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 5 0 - 0 0 5 0
1996 16 0 8 0 0 0 24 0
1997 1 32 0 4 0 3 0 39 0
1998 33 0 4 0 1 0 38 0
1999 J1 29 0 4 0 2 0 35 0
2000 8 0 1 0 0 0 9 0
2001 0 0 3 0 0 0 3 0
2002 大分 J2 42 0 - 3 0 45 0
2003 J1 28 0 2 0 0 0 30 0
2004 11 0 1 0 0 0 12 0
2005 3 0 1 0 0 0 4 0
通算 日本 J1 185 0 35 0 10 0 230 0
日本 J2 42 0 - 3 0 45 0
日本 JSL1部 13 0 0 0 0 0 13 0
総通算 240 0 35 0 13 0 288 0

代表歴[編集]

  • 日本代表(1998年、Aマッチ0試合0得点、Cマッチ1試合0得点)

脚注[編集]

  1. ^ 「スポーツ人名事典・3版」日外アソシエーツ、2002年、130頁
  2. ^ サッカー部新監督について(日本文理大学公式サイト)

関連項目[編集]