岐阜県立多治見北高等学校

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岐阜県立多治見北高等学校
岐阜県立多治見北高等学校.jpg
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜県
学区 東濃学区
校訓 自主・自律・自学
設立年月日 1958年4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 21143F
所在地 507-0022
岐阜県多治見市上山町二丁目49番地
外部リンク 公式サイト
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岐阜県立多治見北高等学校の位置(岐阜県内)
岐阜県立多治見北高等学校

岐阜県立多治見北高等学校(ぎふけんりつ たじみきたこうとうがっこう)は、岐阜県多治見市上山町二丁目にある県立高等学校

地元での通称は「北高」(きたこう)もしくは「多北」(たきた)。備品の鉄パイプイスには、「多北高校」とされている。

概要[編集]

1958年(昭和33年)に創立された全日制普通科(2年次より文理系へクラス編成)のみを有する高等学校である。かつて定時制課程もあったが2004年(平成16年)度以降入学者の募集を停止し、2007年3月に閉課程となった。校訓は自主・自律・自学。

学校の位置する場所が学区の西端である多治見市であるため、通学者は主に多治見市・土岐市瑞浪市可児市東部に在住しており、恵那市中津川市からの通学者は少ない。また、可茂学区(主に可児市や美濃加茂市)からの通学者もいる。

校章は「北」という文字の中に「高」を配したものであり、校章は学校の理想を具現したものとされている。北の文字の上むきは向上と進歩を、高の銀は、知性と純正潔白を、北の銅は、若き情熱と情調を、形の小さきは、慎ましく、おごりを、いましめ小さき中に、大いなる夢を託すとされている。

校歌は金田一京助作詞、高木東六作曲である。

校風[編集]

男子は詰襟の学生服(校章・校章入りボタン。夏は開襟シャツ)、女子は指定セーラー服(夏用と冬用あり)である。セーラー服の上着の両下部にポケットがついており、襟の部分と合わせて「北」をモチーフにデザインされている。校内の自治は生徒に委ねられている部分が多く、学業・高校生らしい身なりに支障がでなければ、校内への物品の持ち込みや、制服の上から防寒具を着ることも自由である。従って、通学用自転車・鞄・靴等の制約も特にない。

沿革[編集]

  • 1940年(昭和15年)11月 - 多治見市立多治見中学校設立の許可
  • 1941年(昭和16年)4月 - 多治見中学校にて開校式
  • 1943年(昭和18年)4月 - 岐阜県立多治見中学校となる。現運動場、本館校舎の完成
  • 1948年(昭和23年)8月 - 高等学校再配置により、3校(多治見高校・多治見女子高校・多治見市立女子高校)統合して岐阜県立多治見高等学校と改称
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 岐阜県立多治見北高等学校設置許可(通常課程普通科)
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 定時制課程の併設
  • 1970年(昭和45年)4月8日 - 65分教育課程の実施

学校行事[編集]

文化祭2日・体育祭1日の日程で行われる学校祭を「北辰祭(ほくしんさい)」と呼称している(「北辰」とは、北極星の意)。北辰祭は岐阜県の公立高校としては、一般に公開されている数少ない学校祭であった。しかし2006年度からは生徒家族に閲覧者は限られた。

部活動[編集]

運動系

  • 陸上部
  • 軟式野球部
  • 卓球部
  • 柔道部
  • 剣道部
  • 弓道部
  • バレーボール部
  • バスケットボール部
  • バドミントン部
  • サッカー部
  • ボクシング部
  • ソフトテニス部
  • 硬式テニス部

文化系

  • 音楽部
  • 美術部
  • 自然科学部
  • 吹奏楽部

その他

  • 放送部

アクセス[編集]

周辺[編集]

学校周辺の施設として、北に臨済宗南禅寺派の古刹・虎渓山永保寺、東に神言会多治見修道院が存在する。

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]