岐阜大仏
岐阜大仏(ぎふだいぶつ)は、岐阜県岐阜市の黄檗宗金鳳山正法寺にある仏像(釈迦如来像)である。岐阜県指定重要文化財[1]。
2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される[2]。
概要[編集]
像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36m。
周囲1.8mのイチョウを真柱として、木材で骨格を組み、竹材を編んで仏像の形を形成する。この竹材の上に粘土をぬり、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて漆を塗り、金箔を張っている。経典は当時の住職が読み一枚一枚貼られている。このことから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」という。
建立の経緯[編集]
江戸時代の寛政の頃、金鳳山正法寺の第11代惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために、大釈迦如来像の建立をはかる。1791年(寛政3年)頃から、大仏に使用する経本を集めだすが、思うように集められず、各地を托鉢してひたすら集める。1800年には堂が完成。その時には大仏の頭部のみが完成していた。1815年(文化12年)、惟中は志の半ばで亡くなる。暫く中断したが、第12代肯宗和尚はその後を継ぎ、引き継いで13年後の1832年(天保3年)、遂に大釈迦如来像は完成する。つまり建立に38年かかったことになる。胎内仏として、薬師如来像が安置されている。この薬師如来像は、室町時代、美濃国厚見郡革手(現在の岐阜市正法寺町)の革手城の城下にあった、土岐氏氏寺の霊正山正法寺(現在は廃寺)の本尊である。平安時代の円仁(慈覚大師)作との伝承がある。
開眼供養の際には、織田信長居住以来の盛儀だったと伝えられている。
拝観[編集]
- 所在地:岐阜県岐阜市大仏町8
- 開館日:年中無休
- 開館時間:9:00~17:00
- 拝観料:大人 200円、小人 100円
- 駐車場:あり
交通アクセス[編集]
無料の駐車場があるが、数台分しか無い。公共交通機関としては、岐阜駅及び名鉄岐阜駅より岐阜バスで岐阜公園、長良橋方面のバス(高富行き等)で「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車徒歩5分。尚、岐阜駅及び名鉄岐阜駅に戻る場合、「大仏前」バス停を利用する[5]。
外部リンク[編集]
周辺[編集]
参考画像[編集]
脚注[編集]
- ^ “籠大仏 附胎内仏”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
- ^ “「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜”. 文化庁. 2020年9月20日閲覧。
- ^ ぎふ大仏フェスティバル実行委員会岐阜市公式ホームページ 2012年11月14日
- ^ 岐阜大仏(正法寺)岐阜観光コンベンション協会
- ^ 正法寺付近の道路が一方通行規制のため、上りと下りではバス停の位置が違う。