山田藤吉

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山田 藤吉(やまだ とうきち、嘉永元年(1848年) - 慶応3年11月16日1867年12月11日))は、日本の元力士。四股名は雲井龍坂本龍馬の用心棒でもあった。

生涯[編集]

近江国大津鹿関町(大津市三井寺町)出身。力士として活動するも若くして廃業。その後、京都の料亭・武乃屋の出前持ちとなり、また長岡謙吉菊屋峰吉の知遇を得てその伝で坂本龍馬の用心棒兼世話役となった。

慶応3年11月15日1867年12月10日)、京都の近江屋において龍馬を訪ねてきた来客に応対し、案内しようとしたところ背後から斬られ、翌日死亡。その後、龍馬と中岡慎太郎も斬られた。墓所は龍馬や中岡と同じ霊山護国神社霊山墓地で、2人の墓のやや後ろに埋葬されている。

逸話[編集]

彼は斬られたときに、「ぎゃあ!!」と大声を上げた。その時坂本は相撲ごっこでもしていると思っていたという。さらに、「ぎゃあ!!」という大声に対し「ほたえな!(騒ぐなの意=子供が騒いでいるときに使われる)」と叫んだ。