山田東次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

山田 東次(やまだ とうじ、安政5年6月21日1858年7月31日) - 明治32年(1899年12月18日)は明治期の政治家法学者教育者衆議院議員法典調査会委員和仏法律学校(現法政大学理事

略歴[編集]

人物[編集]

東京法学校卒業後、同校主幹の薩埵正邦の助手として法学教育に携わり、高崎法律学校(1886年(明治19年)開校)に薩埵と毎週交代で出講している。

また、中央法学会において法律雑誌を出版し、法学の啓蒙・教育活動に努めている。

その後、自由党系衆議院議員として活躍し、法典調査会委員に私立法律学校出身者として唯一人就任している。

民法典論争では断行派に立ち、宮城浩蔵小笠原貞信らとともに「民法中一部延期ニ関スル法律案」を提出し、延期派に対して最後の抵抗を示している。

第4回衆議院議員総選挙には出馬せず、和仏法律学校の理事に就任し、母校の発展・運営に尽力している。

著書[編集]

山田東次著『法律応用問答』東京法学社、1886年9月。

参考文献[編集]

法学セミナー670号(55巻10号)(日本評論社

関連項目[編集]