山田丈夫
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やまだ たけお 山田 丈夫 | |
|---|---|
| 生誕 |
1904年3月31日 岐阜県岐阜市 |
| 死没 |
1971年1月19日(66歳没) |
| 出身校 | 明治大学法学部 |
| 職業 | 弁護士・実業家 |
山田 丈夫(やまだ たけお、1904年〈明治37年〉3月31日 – 1971年〈昭和46年〉1月19日)は、日本の弁護士・実業家。
経歴
[編集]
青年期
[編集]1904年(明治37年)3月31日、岐阜県岐阜市に生まれた[1]。岐阜県岐阜中学校の同期には、岐阜市長を務めた松尾吾策などがおり[2]、松尾とは大学も一緒だった。
弁護士として
[編集]1927年(昭和2年)に明治大学法学部を卒業し、1928年(昭和3年)に弁護士を開業した[3]。1943年(昭和18年)には岐阜県弁護士会会長に就任した[3]。
実業家として
[編集]1946年(昭和21年)、『東海夕刊新聞』を創刊して自身が社長に就任した[3]。1954年(昭和29年)、『岐阜タイムス』(現・『岐阜新聞社』)の社長に迎えられると[3]、1959年(昭和34年)には社名を岐阜日日新聞社に変更し、1960年(昭和35年)には紙名を『岐阜日日新聞』に変更した[1]。
1962年(昭和37年)、ラジオ岐阜を開局した。1967年(昭和42年)、岐阜テレビ(現・岐阜放送)を開局した。1971年(昭和46年)1月19日、アメリカ合衆国のハワイで死去した[1]。死後には正五位に叙せられ、勲三等瑞宝章を受章した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山田丈夫追悼録刊行委員会 編『山田丈夫追悼録』岐阜日日新聞社・岐阜放送、1972年