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山田丈夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまだ たけお
山田 丈夫
生誕 1904年3月31日
岐阜県岐阜市
死没 (1971-01-19) 1971年1月19日(66歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ハワイ
出身校 明治大学法学部
職業 弁護士実業家
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山田 丈夫(やまだ たけお、1904年〈明治37年〉3月31日1971年〈昭和46年〉1月19日)は、日本の弁護士実業家

経歴

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社長を務めた岐阜新聞社

青年期

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1904年(明治37年)3月31日、岐阜県岐阜市に生まれた[1]岐阜県岐阜中学校の同期には、岐阜市長を務めた松尾吾策などがおり[2]、松尾とは大学も一緒だった。

弁護士として

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1927年(昭和2年)に明治大学法学部を卒業し、1928年(昭和3年)に弁護士を開業した[3]。1943年(昭和18年)には岐阜県弁護士会会長に就任した[3]

実業家として

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1946年(昭和21年)、『東海夕刊新聞』を創刊して自身が社長に就任した[3]。1954年(昭和29年)、『岐阜タイムス』(現・『岐阜新聞社』)の社長に迎えられると[3]、1959年(昭和34年)には社名を岐阜日日新聞社に変更し、1960年(昭和35年)には紙名を『岐阜日日新聞』に変更した[1]

1962年(昭和37年)、ラジオ岐阜を開局した。1967年(昭和42年)、岐阜テレビ(現・岐阜放送)を開局した。1971年(昭和46年)1月19日、アメリカ合衆国のハワイで死去した[1]。死後には正五位に叙せられ、勲三等瑞宝章を受章した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年、p.810
  2. ^ 伊藤克司「宝暦郡上一揆の現代史的意義」『岐阜史学』岐阜史学会、1991年7月
  3. ^ a b c d 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年

参考文献

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  • 山田丈夫追悼録刊行委員会 編『山田丈夫追悼録』岐阜日日新聞社・岐阜放送、1972年