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山梨半造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山梨やまなし 半造はんぞう
山梨 半󠄁造󠄁
生年月日 1864年4月6日
元治元年3月1日
出生地 江戸幕府相模国大住郡下島村(現:神奈川県平塚市下島
没年月日 (1944-07-02) 1944年7月2日(80歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本・神奈川県鎌倉市
出身校 陸軍大学校卒業
前職 陸軍軍人
称号 陸軍大将
正三位
勲一等旭日大綬章
功二級金鵄勲章
親族 山梨安兵衛(父)
田村怡与造(義父)
本間雅晴(義弟)
伊東四郎(女婿)
第4代 朝鮮総督
在任期間 1927年12月10日 - 1929年8月17日
大日本帝国の旗 第15代 陸軍大臣
内閣 原内閣
高橋内閣
加藤友三郎内閣
在任期間 1921年6月9日 - 1923年9月2日
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山梨 半造(やまなし はんぞう、旧字体: 山梨 半󠄁造󠄁1864年4月6日元治元年3月1日〉- 1944年昭和19年〉7月2日)は、日本陸軍軍人政治家

陸軍大臣(第15代)、朝鮮総督(第4代)を歴任した。最終階級は陸軍大将栄典正三位勲一等功二級

略歴

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相模国大住郡下島村(現:神奈川県平塚市下島)にて山梨安兵衛の二男として出生。耕余塾卒業後、1886年明治18年)6月、陸軍士官学校(旧8期、士官生徒8期)を卒業、歩兵少尉に任官し歩兵第5連隊付となる。1892年(明治24年)12月、陸軍大学校(8期)を卒業、恩賜の軍刀を拝受した。

日清戦争に歩兵第4旅団副官として出征し歩兵第5連隊中隊長第2軍副官、占領地総督部副官を歴任し帰国した。参謀本部第4部員、兼陸大教官、ドイツ駐在、陸大教官などを経て日露戦争時には第2軍参謀として出征し同軍参謀副長、第3師団参謀長を歴任した。

オーストリア公使館付、ドイツ大使館、陸大幹事、歩兵第51連隊長などを経て1911年(明治44年)9月、陸軍少将に進級。歩兵第30旅団長、歩兵第1旅団長、参謀本部総務部長などを歴任し第一次世界大戦において独立第18師団参謀長として青島に出征、その軍功により功二級を賜る。教育総監部本部長などを経て1916年大正5年)5月、陸軍中将に昇進し陸軍次官、兼航空局長官を歴任。

1921年(大正10年)10月、原内閣の陸軍大臣となり同年12月に陸軍大将に進級し高橋内閣加藤友三郎内閣にも留任。1922年(大正11年)8月と翌年4月の2度にわたり陸軍史上初の軍縮(「山梨軍縮」)を実行。

軍事参議官を経て、関東大震災に伴い福田雅太郎司令官の後任として関東戒厳司令官に就任した。東京警備司令官、軍事参議官を経て1925年(大正14年)5月25日[1]予備役編入される。 その後、陸軍機密費横領問題を通じ、田中義一とともに告発されるが、1926年(昭和元年)12月27日に不起訴処分となる[2]

1927年(昭和2年)12月10日に朝鮮総督となった。その直後、立憲民政党により米穀商が京城に取引所を開設するために山梨の側近を通じて5万円(当時)を贈賄したとする朝鮮総督府疑獄が暴露され辞任。米穀商と側近は執行猶予つきの有罪、山梨本人は無罪となった。

1934年(昭和9年)4月に退役。1944年(昭和19年)、神奈川県鎌倉市の自宅にて死去。享年81。 死去に際して天皇より歳資が下賜され、葬送には勅使として神奈川県知事近藤壌太郎が遣わされ、幣帛が下賜された[3]。 墓所は東京都杉並区永福築地本願寺和田堀廟所

栄典

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山梨半造による碑文が書かれた尼港殉難者記念碑
位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1895年(明治28年)10月12日 勲六等単光旭日章[15]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[16]
1901年(明治34年)11月30日 勲五等瑞宝章[17]
1905年(明治38年)5月30日 勲四等瑞宝章[18]
1906年(明治39年)4月1日 功三級金鵄勲章[19]
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[19]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[19]
1915年(大正4年)2月26日 勲二等瑞宝章[20]
1915年(大正4年)11月7日 功二級金鵄勲章[21]
1915年(大正4年)11月7日 旭日重光章[21]
1915年(大正4年)11月7日 大正三四年従軍記章[21]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[22]
1920年(大正9年)11月1日 勲一等旭日大綬章[23]
1920年(大正9年)11月1日 大正三年乃至九年戦役従軍記章[23]
1921年(大正10年)3月23日 金杯一個[24]
1921年(大正10年)5月30日 金杯一組[25]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[26]
1940年(昭和15年)8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[27]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1909年(明治42年)2月25日 プロイセンの旗 プロイセン王国 赤鷲第二等勲章英語版[28]
1909年(明治42年)2月25日 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 フランソワジョゼフ勲章英語版コンマンドール[28]
1916年(大正5年)6月12日 イギリスの旗 イギリス帝国 聖マイケル・聖ジョージ第二等勲章[29]
1920年(大正9年)4月15日 フランス第三共和政 フランス共和国 レジオンドヌール勲章グラントフィシエ[30]
1920年(大正9年)12月27日 ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 王冠剣付第一等勲章英語版[31]
1921年(大正10年)3月20日 支那共和国 一等大綬嘉禾章中国語版[32]
1922年(大正11年)1月29日 フランス第三共和政 フランス共和国 レジオンドヌール勲章グランクロア[33]
1922年(大正11年)9月21日 イギリスの旗 イギリス帝国 大英帝国勲章ナイトグランドクロス[34]
1924年(大正13年)4月25日 ポーランド ポーランド共和国 ポーランド復興勲章グランクロア[35]
1925年(大正14年)5月1日 ベルギー ベルギー王国 レオポール第二世勲章グランクロア[36]
1935年(昭和10年)9月21日 満洲国 満洲帝国 満洲帝国皇帝訪日記念章[37]

家族・親族

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  • 父:山梨安兵衛
  • 妻:ろく
  • 長男:祐一
  • 二男:仁次郎
  • 四男:武四郎
  • 長女:松子(稻田利兵衞妻)
  • 二女:富子(伊東巳代治の四男・伊東四郎妻)
  • 義父:田村怡与造(陸軍中将)
  • 義弟:本間雅晴(陸軍中将)

脚注

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  1. ^ 『官報』第3825号「叙任及辞令」1925年5月26日。
  2. ^ 機密費事件は証拠不十分で不起訴に決定『東京朝日新聞』昭和元年12月28日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p380-381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第九』東京書籍、2016年9月29日、383頁。ISBN 978-4-487-74409-1 
  4. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  5. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  6. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  7. ^ 『官報』第5304号「叙任及辞令」1901年3月12日。
  8. ^ 『官報』第6422号「叙任及辞令」1904年11月25日。
  9. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  10. ^ 『官報』第8502号「叙任及辞令」1911年10月21日。
  11. ^ 『官報』第1158号「叙任及辞令」1916年6月12日。
  12. ^ 『官報』第658号「叙任及辞令」1921年6月11日。
  13. ^ 『官報』第3259号「叙任及辞令」1923年6月12日。
  14. ^ 『官報』第3888号「叙任及辞令」1925年8月8日。
  15. ^ 『官報』第3689号「叙任及辞令」1895年10月14日。
  16. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  17. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  18. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  19. ^ a b c 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月5日。
  20. ^ 『官報』第770号「敍任及辞令」1915年2月27日。
  21. ^ a b c 『官報』第1067号「叙任及辞令」1916年2月24日。
  22. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  23. ^ a b 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  24. ^ 『官報』第2590号「叙任及辞令」1921年3月24日。
  25. ^ 『官報』第2648号「叙任及辞令」1921年5月31日。
  26. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  27. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  28. ^ a b 『官報』第7700号「叙任及辞令」1909年3月1日。
  29. ^ 『官報』第1159号「叙任及辞令」1916年6月13日。
  30. ^ 『官報』第2311号「叙任及辞令」1920年4月19日。
  31. ^ 『官報』第2527号「叙任及辞令」1921年1月7日。
  32. ^ 『官報』第2589号「叙任及辞令」1921年3月23日。
  33. ^ 『官報』第2848号「叙任及辞令」1922年2月9日。
  34. ^ 『官報』第3046号「叙任及辞令」1922年9月25日。
  35. ^ 『官報』第3504号「叙任及辞令」1924年5月1日。
  36. ^ 『官報』第3807号「叙任及辞令」1925年5月4日。
  37. ^ 『官報』第2958号「辞令二」1936年11月10日。

外部リンク

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公職
先代
田中義一
大日本帝国の旗 陸軍大臣
第27 - 29代:1921年6月9日 - 1923年9月2日
次代
田中義一
先代
宇垣一成
大日本帝国の旗 朝鮮総督
第4代:1927年12月10日 - 1929年8月17日
次代
斎藤実
軍職
先代
福田雅太郎
関東戒厳司令官
第2代:1923年9月20日 - 同11月16日
次代
廃止
先代
新設
東京警備司令官
初代:1923年11月16日 - 1924年8月20日
次代
菊池慎之助