コンテンツにスキップ

山本藤枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年明治43年〉12月7日[1] - 2003年平成15年〉7月7日[2])は、日本児童文学作家翻訳家女性史研究家。

本名・フジヱ(旧姓・岡村[3])。筆名露木 陽子著書節、再話・翻訳節参照)[注 1]。夫は児童文学作家、詩人山本和夫ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる[4][5]

略歴

[編集]

和歌山県伊都郡笠田村[3](現・かつらぎ町[1])生まれ[注 2]高等女学校[注 3]を経て東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業[注 4]。卒業後は神奈川高等女学校[7](現・神奈川学園中学校・高等学校)の教諭を務め、のちに結婚退職した。

1977年細川ガラシャ夫人』で産経児童出版文化賞受賞。

子ども向けの伝記、海外作品の再話・翻訳した著作を多く物するとともに、とりわけ日本史上の女性の生涯の執筆に意を注いだ。日本文芸家協会会員、児童文学者協会会員を務めた。

2003年、肺炎のため92歳で死去[2]

著書

[編集]

伝記もの

[編集]

共著

[編集]
※第10巻 - 第12巻は、水江漣子が執筆。

再話・翻訳

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. 日本著作権協議会刊行の『文化人名録』では、昭和28年版(第3版)の場合は記載項目が「露木陽子」(190頁)であったが、昭和30年版(第4版)からは「山本藤枝」(239頁)が項目名となり、その中で「筆名は現在使用せず」と記述されている。昭和30年版が刊行された1955年よりも後に「露木陽子」名で出版された著作物は、既刊の改版発行である可能性が高い。
  2. これとは異なり「和歌山市生まれ」と記したものがある(例:『日本現代詩辞典』[6]など)。和歌山県を指した「和歌山生まれ」の記載が誤って転用されたのでないかと考えられる。
  3. 1985年刊の著書『万葉の女性たち』のあとがき(237頁)に「地方の高等女学校をおえて、お茶の水の女高師に進んだ」と記載(高等女学校の校名は不明)。なお、地元の和歌山県立笠田高等女学校(現在の和歌山県立笠田高等学校の前身)は、山本が12歳から16歳までの学齢にあたるころにはまだ設立されておらず、別の高等女学校に在籍していたものと考えられる。
  4. 著書『額田王――激動に生きた万葉女流歌人』のあとがきに、尾上柴舟の『万葉集』の講義を聴いた旨の記述がある(実名を明かさずに「著名な歌人であり、草仮名の名手でもあったO博士から」と記載)。
  5. 第1巻のあとがき(339頁)によれば、先に山本藤枝が構想・執筆したのち、和歌森太郎が大幅に加除と調整を行ったもの(第4巻以降でも同じ旨の「あとがき」を掲載)。
  6. 共著者については、同項目を参照。
  7. 『小公女ものがたり』の著者と同じフランシス・ホジソン・バーネットのこと。

出典

[編集]
  1. 1 2 山本藤枝」『20世紀日本人名事典(2004年刊)』日外アソシエーツコトバンクより2025年7月5日閲覧
  2. 1 2 山本藤枝さん死去 作家、女性史研究家”. 47NEWS. 共同通信社 (2003年7月7日). 2012年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月7日閲覧。
  3. 1 2 小畑昭八郎 編『山本和夫年譜』鶉山文庫、1971年、5頁。NDLJP:12500720/6
  4. 三木卓 (2005年5月28日). 講演会「ロシア児童文学の思い出」”. 国立国会図書館国際子ども図書館. p. 13. 2025年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月7日閲覧。
  5. 山本和夫年譜 1971, p. 6.
  6. 分銅惇作ほか 編『日本現代詩辞典』桜楓社、1986年2月15日、335頁。NDLJP:12450420/174「露木陽子」の項目を参照。
  7. 『思い出のオルガン』(露木陽子名義)巻末の「この本を著した人」を参照。

関連項目

[編集]