山本英臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
山本 英臣 Football pictogram.svg
名前
愛称 オミ
カタカナ ヤマモト ヒデオミ
ラテン文字 YAMAMOTO Hideomi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-06-26) 1980年6月26日(39歳)
出身地 千葉県市川市
身長 175cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
ポジション DF
背番号 4
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 ジェフユナイテッド市原 4 (0)
2003- ヴァンフォーレ甲府 467 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山本 英臣(やまもと ひでおみ、1980年6月26日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションはDF,MFJリーグヴァンフォーレ甲府所属。

来歴[編集]

ジェフユナイテッド市原のジュニアユース、ユースを経て、1999年にトップチームに昇格。市原では主にカップ戦で出場機会を得ていたものの、4年間の在籍でリーグ戦4試合、ナビスコカップ6試合、天皇杯1試合の計11試合の出場にとどまった。2002シーズン限りで契約満了に伴い退団[1]

2003年ヴァンフォーレ甲府に加入[2]。当時の甲府は、前年の2002年にチーム史上初の最下位脱出を達成したものの未だに弱小クラブのイメージは強かった。そのような状況の甲府に加入した初年度は、5月5日の第10節モンテディオ山形戦でプロ初ゴールを記録すると、第11節のアビスパ福岡戦、第12節のサガン鳥栖戦と3試合連続でゴールを記録する。しかしシーズン通して34試合に出場するも、先発出場は6試合にとどまり、レギュラーを奪うことは出来なかった。

2004年も開幕直後は途中出場が多くなったが、シーズン中盤以降先発出場の機会を得る。しかし8月1日大宮アルディージャ戦で骨折し途中交代すると、その後は戦列に戻ることなくシーズン終了。結局18試合の出場にとどまった。

2005年は前年の負傷の影響もあり出遅れ、6月18日ザスパ草津戦でようやく初出場。以降も途中出場が中心となりなかなか出場機会が訪れなかったが、第38節のサガン鳥栖戦で先発出場すると最終節まで7試合連続で先発出場。入れ替え戦も2試合ともフル出場を果たし、J1昇格に向けた終盤の躍進に貢献した。

そのように要所で出場機会を得ながらもなかなか定位置を奪えずにいた山本であったが、チームがJ1に昇格した2006年は大きく存在感を高めた1年となった。山本とほぼ同時期に加入し、ディフェンスを支えていた青葉幸洋東京ヴェルディ1969に移籍、津田琢磨も前年終盤の負傷の影響で出遅れるといった状況の中、前年終盤に信頼を得た山本は左サイドバックのレギュラーに定着。出場停止の2試合を除く全32試合に先発出場し、チーム史上初のJ1残留に貢献した。なお、このころから無回転のフリーキックも習得し、セットプレーのキッカーも務めるようになった。

この2006年のレギュラー奪取を境に山本の存在感は際立っていく。2年目のJ1となった2007年杉山新の負傷離脱により序盤は右サイドバック、杉山の復帰後は左サイドバックで出場し、チームは降格するも自身は26試合に先発出場。J2に降格した2008年もチームに残留し、以降は出場停止、怪我を除いたほぼ全試合に出場。

2010年ダニエルとのセンターバックコンビで守備を支え、2006年以来となるJ1昇格に貢献。

2012年城福浩監督が就任すると、センターバックやボランチをチーム状況に応じて務め、J2優勝の中心選手として活躍した。

2013年は開幕直前に負傷したが、第4節の川崎戦で途中出場し戦線復帰。第5節の大分トリニータ戦では先発復帰し、決勝点に繋がるインターセプトを見せ勝利に貢献。それまで勝利のなかった甲府にシーズン初勝利をもたらした。以降はボランチで出場し、シーズン中盤のシステム変更以降は3バックの中央で起用され、J1残留に貢献した。

2014年は出場停止の1試合を除いた全33試合に出場。前年から引き続き3バックの中央で甲府の守備を統率し、2年連続の残留に貢献した。また第21節のガンバ大阪戦でJ1初ゴールを記録するとその後もPK2得点を含む3得点を挙げた。

2014年までに甲府で記録した出場試合数380試合は、石原克哉に次ぐ2位の記録となっている。また、2009年から2018年現在まで10年連続でキャプテンを務めている[3]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 市原 28 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 27 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 20 4 0 4 0 1 0 9 0
2002 0 0 2 0 0 0 2 0
2003 甲府 4 J2 34 3 - 2 0 36 3
2004 18 1 - 0 0 18 1
2005 20 0 - 2 0 22 0
2006 J1 32 0 4 0 3 0 39 0
2007 29 0 8 0 1 0 38 0
2008 J2 39 0 - 2 0 41 0
2009 48 1 - 3 0 51 1
2010 28 2 - 1 0 29 2
2011 J1 30 0 1 0 1 0 32 0
2012 J2 40 2 - 1 0 41 2
2013 J1 29 0 1 0 3 0 33 0
2014 33 3 4 0 2 0 39 3
2015 28 0 2 0 0 0 30 0
2016 24 1 1 0 0 0 25 1
2017 14 0 0 0 0 0 14 0
2018 J2 21 0 2 0 2 0 25 0
2019 -
通算 日本 J1 223 4 27 0 11 0 261 4
日本 J2 248 9 2 0 13 0 263 9
総通算 471 13 29 0 24 0 524 13
その他の公式戦出場
出場歴

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 選手の来季契約について - ウェイバックマシン(2004年11月11日アーカイブ分)(2002年12月6日)
  2. ^ a b c d 2003年度新加入選手内定のお知らせ(1.6) - ウェイバックマシン(2006年12月31日アーカイブ分)ヴァンフォーレ甲府(2003年01月6日)
  3. ^ “2018シーズン キャプテン 決定のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2018年1月26日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/515122 2018年9月5日閲覧。 

外部リンク[編集]