山本和臣 (政治家)
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山本 和臣 やまもと かずおみ | |
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生年月日 | 1966年5月11日(56歳) |
出生地 |
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出身校 |
広島県立廿日市高等学校 第一工業大学 国立大学法人山口大学 大学院 |
前職 |
インダストリアルデザイナー (有)ライトマンR&D社長 |
現職 | 元広島県廿日市市議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 航空工学士 技術経営学修士 |
公式サイト | やまもとかずおみ の「考動力!!」ブログ |
山本 和臣(やまもと かずおみ、1966年5月11日 - )は、日本の政治家。元広島県廿日市市議会議員。元インダストリアルデザイナー、会社社長。島根県生まれ、廿日市市佐伯地区出身。
来歴[編集]
- 島根県で生まれ、幼少時に広島県へ転居。広島県立廿日市高等学校、 第一工業大学工学部航空工学科を卒業した後、広島の自動車部品販売会社株式会社モンテカルロに就職し、商品企画・開発責任者を務めた。
- 1995年には日本初となるロシア製自動車用鍛造ホイールリーガマスター(キャッチコピーは世界最軽量!)を開発し[1]、同商品は日刊自動車新聞用品大賞 1996を受賞。これを機に国内に軽量ホイールブームが沸き起こった。RE雨宮のGT選手権用ホイールやSPOON[要曖昧さ回避]のN1耐久用超軽量レーシングホイール、某[どこ?]自動車メーカーのパリ~ダカールラリー用レーシングホイール等の設計を行ったことで知られる。この製品はソ連崩壊後のロシアの経済政策「コンベルシア」(軍民転換)の象徴的な事例の一つとなった。
- 1996年 同社を退職後、カー用品のデザイン・設計会社 (有)ライトマンR&Dを設立。
- 2006年 9ff社ポルシェ・997 cabriiolletの最高速チャレンジカー用ホイールのデザイン・設計を行う。9ff 977 cabriiolletはcabriiollet(オープンカー)の世界最速350.1km/hを記録し、Cabriiollet No.1に輝く[2]。
- 2010年 廿日市市PTA連合会会長、広島県PTA連合会会長、日本PTA全国協議会 常務理事を務める。
- 2010年 文部科学省 中央教育審議会 専門委員を務める[3]。
- 2009年3月に行われた廿日市市議会選挙へ無所属で立候補するも次点で落選。その後、副議長の今津俊昭が公職選挙法違反を理由に辞職[4]、浜崎武彦が体調不良を理由に辞職したことに伴い、2011年の10月に市長選挙と同時に行われた補欠選挙にみんなの党公認候補として出馬し、5候補中でトップ当選を果たした。2013年3月の一般選挙でもみんなの党公認で出馬し、30議席中19位で当選した。
- 2014年4月現在、中国地方で唯一のみんなの党所属の現職議員[5]であり、みんなの党青年局 次長、同党の東日本大震災、福島第一原発事故からの復興支援プログラムACTION11のメンバー[6]としても活動した。
- 2014年7月、みんなの党の事実上の広島県総支部である「みんなの党 広島県連絡協議会」が設立され、同時に会長に就任した。「みんなの党 広島県連絡協議会」は中国地方で唯一の党組織であると同時に、一般市の地方議員として会長に就任することは希である。
- 2014年11月28日にみんなの党が解党されるに伴い、無所属議員となる。解党前の所属議員の党集会では、当時の民主党との合流を進める浅尾慶一郎代表や山内康一議員を猛烈に批判し、渡辺よしみ前代表を擁護する発言を行っている。
- 2017年3月現在、広島県廿日市市議会議員で政務活動費の使途を全額公表しているのは山本議員の一人だけである。
- 2017年3月26日に執行された広島県廿日市市議会議員選挙において落選。前回選挙の得票数(1394票)の5割程度の票(786票)しか獲得できておらず、この理由について、地元の有権者情報では「市長に逆らう」「挨拶に来ない」ことがもっぱらである[要出典]。
人物[編集]
- 地域総合型スポーツクラブ「ユアックさいき」のアシスタントマネージャーや、スポーツ少年団「ユアックさいき バレーボールクラブ」の監督を務めるなど、スポーツに対する造詣も深い。
- 地元の小学校、中学校で絵本の読み聞かせを行うなどのボランティアを行っている。
- 日本PTA連絡協議会(日P)の役員を務めたが、PTAの上位組織である日P、県P等のあり方については否定的な見解を示している。
- 既婚者。
外部リンク[編集]
- 広島県廿日市市議会
- ACTION11参加メンバー
- みんなの党公認議員
- ブログ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)