山形清
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山形 清(やまがた きよし、1893年(明治26年)9月10日 - 1991年(平成3年)2月23日[1])は、日本の外交官。
経歴・人物
[編集]茨城県出身。第一高等学校及び東京帝国大学卒業後、大蔵省を経て外務省に入省した。複数の海軍軍縮会議随員、ベネズエラ及びコロンビア初代公使[2]、チリ公使、パキスタン初代大使などを歴任した。
- 1911年(明治44年)3月 - 茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)卒業
- 1917年(大正7年) - 外務省入省
- 1921年(大正11年) - ケンブリッジ大学留学
- 1927年(昭和2年)- ジュネーブ海軍軍縮会議随員
- 1929年(昭和4年) - 欧米局第二課課長
- 1930年(昭和5年) - ロンドン海軍軍縮会議随員
- 1938年(昭和13年) - 駐ベネズエラ兼ねて駐コロンビア公使(初代)
- 1946年(昭和21年) - 終戦連絡中央事務局次長
- 1952年(昭和27年)9月 - 駐パキスタン特命全権大使(初代)
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
主要著作
[編集]- 『海軍軍縮交渉・不戦条約』(鹿島平和研究所編『日本外交史』第16巻、鹿島研究所出版会)1973年
脚注
[編集]- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1284頁。
- ^ 「ヴェネズェラ、コロンビアといよいよ通商交渉 山形公使赴任の途へ」中外商業新報 1938年(昭和13年)6月24日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
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