山崎雅人

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本来の表記は「山﨑雅人」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
山崎 雅人 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ヤマザキ マサト
ラテン文字 YAMAZAKI Masato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-04) 1981年12月4日(36歳)
出身地 京都府京都市山科区[1]
身長 174cm[2]
体重 68kg[2]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ツエーゲン金沢
ポジション FW
背番号 30
利き足 右足
ユース
1997-1999 京都府立久御山高校
2000-2003 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 横浜F・マリノス 15 (0)
2005-2007 大分トリニータ 61 (3)
2008-2009 ガンバ大阪 53 (6)
2010-2011 サンフレッチェ広島F.C 33 (3)
2011-2015 モンテディオ山形 133 (20)
2016- ツエーゲン金沢 38 (7)
代表歴
2003 日本 ユニバーシアード
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山崎 雅人(やまざき まさと、1981年12月4日 - )は、京都府京都市山科区出身のプロサッカー選手Jリーグツエーゲン金沢所属。ポジションはフォワード

人物[編集]

ストライカーというよりはチャンスメーカータイプで、前線からの守備にも労を惜しまず、ピッチを広く走り回るアグレッシブで泥臭いスタイルが持ち味の選手[3][4]ペリクレス・シャムスカは「戦術に忠実な選手」として重用[3]西野朗は勝負強さを生かしスーパーサブとして起用した[4]。またFWだけではなくトップ下やサイドハーフとしてもプレー出来る[5]

AFCチャンピオンズリーグに出場した年度ほとんどで得点をあげており、特に2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍をしたことから、「ACL男」と呼ばれた[6]

経歴[編集]

京都大宅SSSでサッカーをはじめる。大宅中学校卒業、このころの同級生に松井大輔がいる。久御山高校を卒業後、2000年に国士舘大学に進学。大学の同級生に相馬崇人村山祐介北一真冨士祐樹鈴木弘大原島喬らがいる。2003年、大学4年時にユニバーシアード代表に選ばれ、背番号10を背負いエースストライカーとして活躍[7]2005年夏季ユニバーシアードでは5得点をあげチーム得点王、日本の金メダル連覇に貢献する。

2004年、横浜F・マリノスに入団。久保竜彦安貞桓坂田大輔大島秀夫と層の厚いFW陣の中でなかなか出場機会に恵まれなかった[8]

2005年8月、出場機会を求めて大分トリニータ期限付き移籍[8]。同年、リーグ初得点を含む2ゴールを挙げる。2006年、大分に完全移籍。ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場。翌2007年、出場時間も大幅に増え、シーズンの終盤戦には完全にスターティングメンバーに定着する。同年末にACLに出場するガンバ大阪からオファーがあった[8]

2008年、G大阪に完全移籍する[8]。リーグ戦での出場機会は少ないながらも、AFCチャンピオンズリーグで5得点を挙げ、ACL優勝に貢献した。同年のFIFAクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッド[4]CFパチューカ戦で得点をあげている。2009年の天皇杯制覇にも貢献した[6]

2010年、ACLに出場するサンフレッチェ広島F.Cに1年間の期限付き移籍[5]。怪我や体調不良、李忠成のブレイクにより試合出場は限られた[9]。広島からの要望により2011年からは完全移籍を果たした[9] ものの、同シーズンではすべて途中交代出場のみとなった[10]

2011年7月、得点力不足に陥りFWのテコ入れが急務となったモンテディオ山形へ期限付き移籍すると[10]、すぐ主力に定着し2度の決勝点を挙げるなど活躍した[11]。2012年、山形に完全移籍した[11]

2014年12月7日に行われたJ1昇格プレーオフ決勝のジェフユナイテッド千葉戦で決勝点を決めた。

2016年よりツエーゲン金沢へ完全移籍により加入した[2]

所属クラブ[編集]

ユース経歴

プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 国士大 39 JFL 6 1 - - 6 1
2001 29 12 4 - - 12 4
2002 17 1 0 - 0 0 1 0
2003 10 2 0 - - 2 0
2004 横浜FM 27 J1 13 0 6 1 1 0 20 1
2005 2 0 0 0 - 2 0
大分 30 10 2 - 2 1 12 3
2006 25 0 4 0 1 0 30 0
2007 26 1 6 0 2 0 34 1
2008 G大阪 30 4 4 0 5 2 39 6
2009 23 2 0 0 5 2 28 4
2010 広島 33 25 3 3 0 1 0 29 3
2011 30 8 0 1 0 - 9 0
山形 33 14 4 - 2 0 16 4
2012 30 J2 35 4 - 1 0 36 4
2013 35 8 - 3 0 38 8
2014 36 4 - 6 2 42 6
2015 J1 13 0 3 1 0 0 16 1
2016 金沢 J2 38 7 - 0 0 38 7
2017 -
通算 日本 J1 189 16 27 2 19 5 235 23
日本 J2 144 23 - 10 2 154 25
日本 JFL 21 5 - 0 0 21 5
総通算 354 44 27 2 29 7 410 53

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2004 横浜FM 27 4 1 -
2005 4 1 -
2008 G大阪 30 12 5 3 2
2009 6 1 -
2010 広島 33 3 0 -
通算 AFC 29 8 3 2

その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

横浜Fマリノス

ガンバ大阪

代表歴[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ FW山崎雅人選手 2011シーズン サンフレッチェ広島へ完全移籍のお知らせ - ガンバ大阪オフィシャルサイト 2011年1月14日閲覧
  2. ^ a b c d e f g “山﨑雅人選手 ツエーゲン金沢へ完全移籍のお知らせ” (プレスリリース), モンテディオ山形, (2015年12月29日), http://www.montedioyamagata.jp/news/y-2015/n-00005091/ 2016年1月2日閲覧。 
  3. ^ a b 選手データベース”. 2009年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月11日閲覧。 - WEBサッカーマガジン
  4. ^ a b c 選手情報”. Sports Graphic Number. 2010年1月12日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ a b G大阪の山崎獲得 期限付き、トップ下で起用へ”. 中国新聞 (2010年1月6日). 2013年12月19日閲覧。
  6. ^ a b 2010サンフレ新戦力 FW山崎雅人”. 中国新聞 (2013年12月19日). 2010年1月30日閲覧。
  7. ^ 連覇に導くゴールハンター・山崎 雅人(国士舘4年)”. 駒澤大学スポーツ新聞部 (2003年8月22日). 2010年1月12日閲覧。
  8. ^ a b c d 大分FW山崎がG大阪移籍を決断”. 日刊スポーツ (2008年1月13日). 2011年1月10日閲覧。
  9. ^ a b 完全移籍の山崎、再出発 トップ下定着目指す”. 中国新聞 (2011年2月2日). 2011年2月2日閲覧。 [リンク切れ]
  10. ^ a b 山崎、山形へ期限付き移籍”. 2011年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月22日閲覧。 - 中国新聞(2011年7月22日)
  11. ^ a b FW山崎を完全移籍で獲得 DF宮本は契約更新、モンテ”. 2012年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月7日閲覧。 - 山形新聞(2011年12月30日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]