コンテンツにスキップ

山名豊久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山名豊久
鄧林宗棟像(狩野元信筆、龍安寺蔵)
時代 室町時代中期 - 戦国時代 (日本)
死没 大永2年10月25日1522年11月13日
改名 豊久→鄧林宗棟
氏族 山名氏細川氏
父母 父:山名宗全、養父:細川勝元
兄弟 教豊是豊勝豊政豊(甥とも)、時豊豊久、ほか
テンプレートを表示

山名 豊久(やまな とよひさ)は、室町時代武将

生涯

[編集]

享徳2年(1453年)、山名宗全の子として誕生。

細川氏嫡流・京兆家の当主(管領でもある)・細川勝元の妻は宗全の娘(養女とも)であり、継嗣の無かった勝元は、妻の実家であり、友好関係にあった山名氏より養子として豊久をもらい受けた。

文正元年(1466年)、勝元に実子の政元が生まれると、豊久は廃嫡され、仏門に押し込まれた。この一件は宗全と勝元の対立を生み、応仁の乱勃発の一因になったといわれている。その後、豊久は鄧林宗棟(とうりんそうとう)と改名し、大徳寺68世、妙心寺17世となった。

文明11年(1479年)、毛利次郎の乱が発生すると、「山名七郎」が守護方の一員として鎮圧にあたったが、これを豊久に比定する説がある[1]

大永2年(1522年)10月25日、豊久は70歳で没した。

肖像

[編集]

亡くなる前年の永正18年(1521年)に狩野元信が描いた肖像が現存する(龍安寺蔵)。

脚注

[編集]
  1. ^ 片岡秀樹「文明・明応期の但馬の争乱について-山名政豊父子と垣屋氏-」『地方史研究』58巻6号、2008年。 /所収:市川裕士 編『山陰山名氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世西国武士の研究 第五巻〉、2018年、128-129頁。ISBN 978-4-86403-293-3 

外部リンク

[編集]