山口清一郎

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やまぐち せいいちろう
山口 清一郎
生年月日 (1938-03-10) 1938年3月10日
没年月日 (2007-11-10) 2007年11月10日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本
国籍 日本
ジャンル 映画監督脚本家
主な作品

映画
『恋の狩人 ラブ・ハンター』

『-北村透谷- わが冬の歌』

山口 清一郎(やまぐち せいいちろう、1938年3月10日 - 2007年11月10日)は、日本映画監督。東京・品川出身。

来歴[編集]

60年代安保世代で映画を志し、1962年に早稲田大学文学部を卒業後、日活撮影所に入社した。同期入社には、映画監督の曽根中生大和屋竺岡本孝二、映画プロデューサーの岡田裕、作家の榛谷泰明らがいる。監督デビュー作となる『恋の狩人 ラブ・ハンター』が警視庁に摘発され、同僚監督の藤井克彦近藤幸彦と共に「猥褻裁判」の被告となったことで知られる。「猥褻裁判」は1980年に高裁で無罪が確定した。

なおこのときの主演女優の田中真理をその後の『恋の狩人 欲望』『-北村透谷- わが冬の歌』においても起用している。

藤井克彦、近藤幸彦と異なり、『恋の狩人』シリーズと『田中真理』に、強くこだわり続け、会社企画のプログラムピクチャーの監督を断り続けた為、日活社内で異端視され、2作目以降解雇されるまで、新たなロマンポルノ映画を監督する事が出来なかった。

日活脚本家グループの具流八郎の一員でもあった。また、神代辰巳との共同脚本ペンネームとして「こうやまきよみ」名義も使っていた。

1977年日活の経営合理化で解雇されフリーとなる。2007年11月10日に死去した。

作品[編集]

  • 鮮血の記録(日活、1970年)脚本兼助監督
  • いちどは行きたい女風呂(日活、1970年)助監督
  • ネオン警察 女は夜の匂い(日活、1970年)助監督
  • 谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座(日活、1971年)助監督
  • 逆縁三つ盃(日活、1971年)助監督
  • 恋の狩人 ラブ・ハンター(日活、1972年)監督、こうやまきよみ名義で脚本
  • 濡れた唇(日活、1972年)こうやまきよみ名義で脚本
  • 恋の狩人 欲望(日活、1973年)脚本兼監督
  • -北村透谷- わが冬の歌(三映社=ATG、1977年)監督
  • お百姓の足 坊さんの足(東映教育映像部、1980年)脚本
  • 理想の動物園を求めて(東映教育映像部、1985年)脚本

脚注[編集]

関連図書[編集]

  • 『日活ロマンポルノ異聞 国家を嫉妬させた映画監督・山口清一郎』 鈴木義昭著、社会評論社刊

外部リンク[編集]