山口左右平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山口 左右平(やまぐち そうへい、1904年明治37年)6月28日[1][2] - 1949年昭和24年)3月26日[3])は、昭和時代前期の政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

神奈川県中郡高部屋村上糟屋(伊勢原町を経て現伊勢原市)に生まれる[1][2]1930年(昭和5年)京都帝国大学経済学部を卒業する[3]農業を営む傍ら、産業組合中央会に奉職し、同総務部企画課長、文書課長、満州国開拓協力協議会幹事、農林省委員などを歴任した[3]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では神奈川県第3区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[2][3]。衆議院議員を1期務めた[3]。戦後、公職追放となった[4][注 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典[編集]

  1. ^ a b 衆議院事務局 1942, 6頁.
  2. ^ a b c 議会新聞社 1943, 434頁.
  3. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 527頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿733頁.

参考文献[編集]