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山口富士雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口 富士雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 (1942-07-16) 1942年7月16日(83歳)
身長
体重
170 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1963年
初出場 1963年6月20日
最終出場 1973年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪急ブレーブス (1974 - 1977)

山口 富士雄(やまぐち ふじお、1942年7月16日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手内野手)・コーチ

経歴

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プロ入り前

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高松商業高校では2年生の時、1959年夏の甲子園予選北四国大会決勝に進むが西条高に惜敗。同年の秋季四国大会でも決勝に進出。広野功らのいた徳島商に延長10回裏逆転サヨナラ負けを喫するが、翌1960年春の選抜への出場を決める。大会では主将、三番打者、遊撃手として活躍、2年生左腕の松下利夫(明大四国電力)の好投もあり勝ち進む。準決勝は松下が北海高佐藤進との投手戦を制し完封勝利。決勝では米子東高と対戦。同点の9回裏に宮本洋二郎から、史上初となる決勝戦サヨナラ本塁打を放ち2x-1で優勝を飾る[1](この大会唯一の本塁打でもあった)。同年夏は香川県予選準決勝で多度津工に敗れ、春夏連続の甲子園出場はならなかった。卒業後は立教大学へ進学するも2年で中退した。  

阪急時代

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1963年阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に上がり、内野全般をこなせるユーティリティプレーヤーとして活躍。1966年には遊撃手の定位置を確保し、初めて規定打席に到達(28位、打率.206)。その後、阪本敏三が遊撃手に定着すると二塁手に回り、住友平とレギュラーを長年争う。1967年からの3年連続リーグ優勝に貢献。1967年の巨人との日本シリーズは故障で出場できなかったが、翌1968年の日本シリーズでは3試合に先発。第6戦では堀内恒夫から代打本塁打を放つ。1969年には打率.282(14位)の好記録を残す。同年の巨人との日本シリーズでは全6試合に先発出場するが、24打数2安打と抑え込まれた。第4戦では高校・大学(ともに中退)の先輩である岡村浩二退場事件の端緒となる本塁送球を行っている。1971年の巨人との日本シリーズでも前半3試合に先発するが無安打に終わり、ジェリー・エイデアーに定位置を譲る。

大洋時代

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1973年シーズン途中に、竹村一義との交換トレードで大洋ホエールズに移籍したが、同年オフに引退。

引退後

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1974年から1977年まで古巣・阪急の二軍コーチを務めた[2]。その後はスカウトも歴任。母校・高松商野球部のOB会長も務めた[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1963 阪急 8124823522538116684520803252.226.260.281.541
1964 12335432127761014100231021731211383.237.264.312.576
1965 12540638436841330103212086114013910.219.248.268.516
1966 12747243340891343119241691521804418.206.243.275.518
1967 1274223874110118771543497821906466.261.304.398.702
1968 11431128024577106622115461605345.204.254.236.490
1969 12446244059124284918739113621222336.282.303.425.728
1970 11630827931591121772495521725186.211.267.276.543
1971 116177163223150448134142602154.190.225.294.520
1972 909784719200217744270051.226.280.250.530
1973 2549435810096001050072.186.271.209.480
大洋 62171152112332133331110800161.151.194.217.411
'73計 872201951631421429311201300233.159.212.215.427
通算:11年 123034773201325724119253098322410450832214252931754.226.264.307.571
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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節目の記録
  • 1000試合出場:1971年7月7日 ※史上152人目
その他の記録

背番号

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  • 1 (1963年 - 1973年途中)
  • 29 (1973年途中 - 同年終了)
  • 71 (1974年 - 1977年)

脚注

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  1. 『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2003年2月17日、153頁。
  2. 阪急ブレーブス黄金の歴史 [永久保存版] よみがえる勇者の記憶 1936-1988、ベースボール・マガジン社、2011年、p128
  3. 【Deep Baseball】元阪急…高松商OB山口富士雄氏が見た、巨人D1位・浅野翔吾のすごさ パV戦士をもうならせる野球センスと鋭いスイング サンケイスポーツ 2022年12月24日

関連項目

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外部リンク

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