山内豊房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
山内豊房
Yamauchi Toyohusa.jpg
山内豊房像(土佐山内家宝物資料館蔵)
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文12年2月2日1672年3月1日
死没 宝永3年6月7日1706年7月16日
改名 兵助(幼名)、豊房
別名 民部(通称
諡号 芳生
戒名 天曄院俊山泰雄
墓所 高知県高知市天神町の真如寺
官位 従四位下民部大輔侍従土佐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
土佐藩
氏族 山内氏
父母 山内一俊鳥居忠春娘浄心院
山内豊昌
兄弟 豊房、休、豊隆豊英、女子
山内豊昌娘多代池田綱政娘菊姫
豊隆
テンプレートを表示

山内 豊房(やまうち とよふさ)は、土佐藩5代藩主。

生涯[編集]

寛文12年(1672年)2月2日、山内氏の分家である武蔵指扇山内家(新橋山内家)の当主・山内一俊の長男として生まれる。新橋山内家は、第2代藩主・山内忠義の弟である山内一唯から始まる家系で、一輝、一俊と続いた。同家は、武蔵国足立郡内3000石を支配する旗本であった。延宝3年(1675年)12月11日、父一俊が早世したので4歳で家督を継ぐ。武芸に優れ、歌や鞠もよくした。

本家の第4代藩主・山内豊昌に嗣子が無かったため、元禄2年(1689年)2月晦日に婿養子となる。それにともない、足立郡の領地は幕府に没収されて、旗本山内家は絶家となる。指扇領を引き払う時、領民に貸与していた1500両を取り立てず領民は感謝したという。同年3月15日、将軍徳川綱吉御目見する。同年12月27日、従四位下、民部大輔に叙任する。元禄13年(1700年)11月12日、豊昌の死去により家督を継ぐ。同年12月21日、侍従に任官する。元禄15年(1700年)、池田綱政の娘菊姫と再婚する。

藩政においては風水害、城下の火災などに苦しめられた。このため、領民に対して救済措置をとり、元禄16年(1703年)には藩財政再建を目指して藩札を発行し、分家の山内規重(2代藩主山内忠義の弟重昌の裔)を奉行として登用し、緊縮財政政策を採用した。また、谷秦山を登用して学問を奨励するなどしたが、藩財政再建には失敗した。

宝永元年(1704年)7月2日、一族の山内豊成に蔵米1000俵を支給し、旗本にする。宝永3年(1706年)6月7日に死去、享年35。跡を弟の豊隆が継いだ。

系譜[編集]