山下艶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
1955年

山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田[1]1929年 - )は元フィギュアスケート選手で現在はコーチ。大阪市出身。関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手でグルノーブルオリンピック札幌オリンピック女子シングル日本代表の大西一美

経歴[編集]

6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた[2]。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。しかし1942年以降は競技会は戦争終結まで中止となった。

二児の母となった後、第二次大戦後の1953-1954年、1954-1955年シーズンの全日本フィギュアスケート選手権で2連覇を達成。オリンピック世界選手権の候補選手となったが、出場することは無かった。

1955年、27歳で引退した後はコーチとして佐藤信夫大川久美子、長女の山下一美らを指導した。稲田悦子らとともに日本フィギュアスケートインストラクター協会を設立。2003年まで大阪スケート倶楽部でコーチを続けた。現在は日本フィギュアスケートインストラクター協会の名誉会員に就任している。

主な戦績[編集]

大会/年 1938-39 1939-40 1940-41 1946-47 1947-48 1950-51 1953-54 1954-55
全日本選手権 3 2 2 3 1 1
全日本Jr.選手権 1 1

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊
  2. ^ 毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊

外部リンク[編集]