山下千代雄
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| 山下千代雄 やました ちよお | |
|---|---|
|
『新選代議士列伝』より | |
| 生年月日 | 1857年10月27日 |
| 出生地 |
(現・山形県米沢市) |
| 没年月日 | 1929年2月4日(71歳没) |
| 出身校 |
司法省法学校卒業 (現・東京大学法学部) |
| 所属政党 |
(大同倶楽部→) (自由党→) 立憲政友会 |
| 選挙区 |
(山形県第2区→) 山形県郡部選挙区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 |
1894年 - 1897年12月25日 1900年 - 1903年12月11日 |
山下 千代雄(やました ちよお、1857年10月27日〈安政4年9月10日[1]〉 - 1929年〈昭和4年〉2月4日[2])は、衆議院議員(自由党→立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]出羽国米沢出身。藩校興譲館で学んだ後、司法省法学校(現・東京大学法学部)を卒業[3]。明道館を創立し、自由民権を主張した[2]。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙は大同倶楽部から、1892年(明治25年)の第2回総選挙は立憲自由党から山形県第2区で立候補したが、いずれも落選している[4][5]。
1894年(明治27年)、第3回総選挙に出馬し、当選[6]。同年9月の第4回総選挙でも再選された[7]。1898年(明治31年)、第1次大隈内閣が成立すると内務省地方局長に任命されたが、内閣の崩壊とともに野に下り弁護士業務に従事した[8]。1898年(明治31年)の第5回総選挙に立候補したが、落選している[9]。同年8月の第6回総選挙には立候補しなかった[10]。
1900年(明治33年)、衆議院議員補欠選挙に当選して返り咲いた[11]。その後、第7回・第8回総選挙では立憲政友会から山形県郡部選挙区で当選した[12][13]。1904年(明治37年)の第9回と1912年(明治45年)の第11回総選挙に立候補したが、いずれも落選している[14][15]。
脚注
[編集]- ↑ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、18頁。
- 1 2 『政治家人名事典』
- ↑ 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回 199コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 378コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 384コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 390コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 396コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『新選代議士列伝 121コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 402コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 356コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『官報 1900年12月10日 7コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 412コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 417コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 421コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 429コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。