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尾高幸五郎

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尾高 幸五郎(おだか こうごろう、1843年10月13日天保14年9月20日[1] - 1925年[2])は、日本実業家[1][3]。族籍は埼玉県平民[1][3]

人物

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武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)出身。尾高幸五郎(先代)の長男[1][3]。十勝開墾合資会社代表社員、東京貯蓄銀行磐城炭鉱、日新護謨、魚介養殖、渋澤倉庫、日本畜産、浅野セメント監査役などをつとめる[1][3]。住所は東京下谷中根岸町[1][3]

家族・親族

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尾高家
  • 妻・くに(? - 1906年、尾高惇忠の妹)[4]
  • 養子・次郎(1866年 - 1920年、尾高惇忠の次男)[5][6]
  • 養子・コト(1873年 - 1905年、尾高惇忠の七女、尾高勝五郎(惇忠の長男)の死跡を相続)[1][3][4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』を39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月25日閲覧。
  2. ^ 尾高 幸五郎”. デジタル版『渋沢栄一伝記資料』. 公益財団法人渋沢栄一記念財団. 2021年3月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』を26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月25日閲覧。
  4. ^ a b 深谷市指定文化財 尾高惇忠生家” (PDF). 渋沢栄一記念館. 2021年12月8日閲覧。
  5. ^ デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 竜門雑誌 第一五三号・第三二―三五頁 明治三四年二月 ○本社監督尾高藍香先生の追悼会(DK260052k-0003)。2021年12月8日閲覧。
  6. ^ 『人事興信録』には、幸五郎が次郎の父であると記載されている。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。