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尾西和夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾西 和夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県中津市
生年月日 (1953-08-04) 1953年8月4日(72歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1975年 ドラフト2位
初出場 1976年5月9日
最終出場 1976年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

尾西 和夫(おにし かずお、1953年8月4日 - )は、大分県[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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中津工業高校では、エース、三番打者として春日祥之輔とのバッテリーで1971年春季県大会で優勝、九州大会では決勝へ進むが登板はせず、橘健治が先発し、岩井靖久のいた同県の津久見高校に敗れた。夏の甲子園県予選は勝ち抜き中九州大会決勝に進出するが、鶴崎工藤沢哲也ノーヒットノーランを喫し甲子園出場はならなかった。

高校卒業後は、新日本製鐵堺へ入社。1973年ドラフト会議読売ジャイアンツから5位指名されるが拒否し、会社に残留した[1]

1975年日本選手権の1回戦で鷺宮製作所山本良材と投げ合うとバッテリーを組んだ中出謙二の本塁打で勝利[2]ドラフト会議近鉄バファローズから2位指名され入団[1]。1年目の1976年に1軍で9試合に登板するが、1977年からは1軍での登板がなく、1981年限りで引退した[1]

1982年から1989年まで近鉄で打撃投手を務めた。

高校時代から技巧派投手でならし、スリークォーターから、カーブを投げる。また、インコースに切れ込むシュートは抜群だった。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1976 近鉄 90000000------7017.1154501510742.121.15
通算:1年 90000000------7017.1154501510742.121.15

記録

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背番号

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  • 37 (1976年 - 1981年)
  • 84 (1982年 - 1985年)
  • 94 (1986年 - 1989年)

脚注

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  1. 1 2 3 4 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、132ページ
  2. 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社

関連項目

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外部リンク

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