尾形智矩

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尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 2008年2月20日)は日本政治家自由民主党衆議院議員(1期)。元苅田町長(3期)。元苅田町議会議員(1期)。

経歴・政歴[編集]

国会議員落選後[編集]

  • 町長復帰を目指し、系列の町議を率い活動していた。後任の沖勝治町長がインフラ整備を停止する一方で財政を悪化させ、更に沖町政時代に町随一の祭礼「苅田山笠」が一時的に廃れるなどしたことから、尾形町政を評価する声も少なくない。このため尾形は沖町長反対派などを軸に町内での政治的影響力を維持し、一定の支持者を得ていた。沖町政下における尾形の公金横領疑惑に関わる民事訴訟も町側の全面敗訴に終わり、その結果多額の裁判費用を町の公金から支出するという皮肉な顛末となったため、沖町長への批判の声も上がった。そうした中、2005年には沖町長の後継者の伊塚工町長や伊塚町長系列町議の沖永春生町議会議長らによる談合汚職事件が発生。直後に伊塚町長が他界するなど町政が混乱。尾形派・沖派を含む複数の陣営に分かれての政争が絶えず、選挙のたびに怪文書が撒かれるような状況であった。
  • 衆議院議員初当選後間もなく発生したリクルート事件において、一年生議員ながらリクルート株の譲渡を受けた議員として名前があげられ、町長在職中の住民税横領疑惑と合わさって尾形にダーティーなイメージを与えている。しかし町政に関する疑惑は対立陣営側の陰謀との情報も飛び交い、沖元町長とその周囲にも黒い噂が絶えなかった。沖元町長も引退後、伊塚町長や系列町議を率い引き続き町内での政治的影響力を維持し、「九条の会・京築」事務局長として護憲運動などをしていたが、尾形死去からわずか半年後の2008年9月21日、病気のため死去。両者の死により苅田町は町政の転換期を迎えるに至っている。
  • 国会議員落選後は政治活動の舞台を苅田町に戻したが、中央政界とのつながりも保ち、同期当選で同派閥だった杉浦正健法務大臣や清和会前会長の森喜朗元首相らと親しくしていた。
  • 財団法人日本友愛青年協会(理事長・鳩山由紀夫)評議員。

家族・親族[編集]

  • 尾形均[2] 苅田町議会議員、弟
    • 福岡みやこ農業協同組合組合長を経て、2007年9月、苅田町議会議員に当選。2009年10月、苅田町長選挙落選。2011年9月、苅田町議会議員に再選。2015年9月、苅田町議会議員に3選。2017年10月、苅田町長選挙落選。2019年9月、苅田町議会議員に4選。

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国会議員経験者が都道府県議会議員や市議会議員に転じた例は複数あり、尾形の事例後は多数現れている。しかし供託金が不要(当時。2020年6月の法改正により町村議会議員選挙にも供託金制度が導入されている)な町村議会議員選挙に国会議員経験者が立候補し転身を果たした事例は極めて珍しく、尾形以前においては1928年第16回衆議院議員総選挙に旧北海道第5区から立候補し当選した前田政八・元政友会衆議院議員が戦後出身地の佐賀県藤津郡塩田町に帰郷し、同町長や町議会議員を務めた事例が唯一であった。尾形の後も知久馬二三子・元社会民主党衆議院議員が衆議院議員落選後に鳥取県三朝町議会議員に再選された事例のみとなっており、異例と言える。
  2. ^ 選挙 苅田町長選 尾形町議も立候補表明 /福岡毎日新聞 2017年9月13日 京築版
先代:
中山俊彦
Flag of Kanda Fukuoka.JPG 福岡県苅田町長
1977年 - 1986年
次代:
沖勝治