尾張馬身

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尾張馬身
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
官位 小錦下
主君 天武天皇
氏族 尾張
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尾張 馬身(おわり の まみ[1])は、飛鳥時代の人物。672年壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)の側に立って戦った。冠位小錦下

経歴[編集]

壬申の乱について記す『日本書紀』に尾張馬身の名は見えず、『続日本紀』天平宝字2年(758年)4月19日の記事でのみ知られる。そこには、「はじめ尾張連馬身は壬申の年の功で小錦下になったが、まだ姓を賜わらないうちにその身が早く亡くなった。これによって、馬身の子孫に等しく宿禰の姓を賜う」とある。

だが『日本書紀』には、天武天皇13年(684年)12月2日に50氏に宿禰の姓を与えたという記事があり、その中に尾張連も入っている。これは尾張連でも尾張大隅の一族に対するもので、馬身の一族は別だったのであろう。また、馬身の死がこれより以前であったことも推測できる。

脚注[編集]

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「をはりのまみ」。