尚懿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尚 懿(しょう い、生年不詳 - 万暦12年3月23日1584年5月3日))は、琉球王国第二尚氏王統の人。童名を思太郎金。祖父の尚維衡・浦添王子朝満を元祖とする向氏小禄御殿の三世。尚弘業・浦添王子朝喬の長男。王子位であり与那城王子朝賢を称するが、長男の尚寧が琉球王国第二尚氏王統の第7代国王となったため、王の父たるをもって康熙38年2月7日(1699年3月8日)に王号を追贈された。

生年不詳であるが、弟の向秉義・豊見城按司朝重の生年が嘉靖25年(1546年)であるため、それ以前の誕生であることはわかる。

祖父の尚維衡は第3代国王尚真王世子であったが、廃嫡され浦添の地に隠遁していた。その子(つまり尚懿の父)も同じように隠遁生活を送ったのか、史書にはなんらその足跡を残していない。尚懿自身も祖父や父と同じだったのか、史書に登場することは皆無である。

墓所は浦添市仲間の浦添ようどれ

系譜[編集]

父の尚弘業・浦添王子朝喬の長男として生まれる(母は慈光)。母は第3代国王尚真王の七男の尚源道・豊見城王子の娘。父と母はいとこ同士の婚姻であった。

室に第5代国王尚元王の長女をむかえ、二男一女をもうけた。長男の尚寧は王位につき、次男の尚宏・具志頭王子朝盛は、第二尚氏王統における最初の摂政となり、兄王を補佐した。

  • 父:尚弘業・浦添王子朝喬 (向氏小禄御殿二世)
  • 母:思乙金 (号は慈光。父は尚源道・豊見城王子)
    • 弟(次男):向秉義・豊見城按司朝重
    • 弟(三男):尚弘徳・羽地王子朝元 (羽地御殿元祖)
    • 弟(四男):向秉禮・勝連按司朝久
    • 弟(五男):向秉知・勝連按司朝綱
    • 弟(六男):向里瑞・浦添親方朝師
    • 妹(長女):童名不詳・世治新君按司 (呉啓元・国頭親方先元に嫁ぐ)
    • 妹(次女):童名不詳・君清良按司 (馬順徳・国頭按司正格に嫁ぐ)
    • 妹(三女):童名不詳・君加那志按司 (安波根親方に嫁ぐ)


  • 室:童名不詳・首里大君加那志 (号は一枝。父は尚元王)
    • 長男:尚寧 (第二尚氏王統の第7代国王)
    • 次男:尚宏・具志頭王子朝盛
    • 長女:真加戸樽金按司 (英氏渡慶次里之子重張に嫁ぐ)

経歴(月日は旧暦)[編集]

  • 1546年嘉靖25年)以前 生まれる。
  • 1564年(嘉靖43年) 長男の尚寧が生まれる。
  • 1578年万暦6年)5月20日 次男の尚宏・具志頭王子朝盛が生まれる。
  • 1584年(万暦12年)3月23日 亡くなる。
  • 1699年康熙38年)2月7日 王の父たるをもって王号を追贈される。

関連項目[編集]