尚布里

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尚 布里(しょう ふり、1407年?(永楽5年)-1453年?(景泰4年))は、尚巴志王の子で領地が江洲半島であったため江洲王子とも言われる。兄に第3代目の中山王尚忠と第5代目中山王の尚金福がおり、弟には7代目中山王の尚泰久がいる。

生年は1464年(天順8年)に58歳で亡くなっているとすれば1407年(永楽5年)に生まれているとされ尚巴志王が33歳の時に儲けた子であると思われる。

尚金福の治世では主に軍事の事を扱っていたとされ王府内でとても権力があったという。

1453年に兄で当時の王だった尚金福が死ぬと、その子である志魯王子こと志魯が跡を継いで王になろうとしたが、布里が年が若いことを理由に自分が王に即位することが正しいとして反対したが、志魯がこれに反発して志魯・布里の乱が起こった。この戦いで二人は共に戦死したとされる。

しかし布里は生き延びたという説があり存命であれば50代後半まで生きていたとされ、尚布里の墓とされるものには1464年(天順8年)に58歳で亡くなったとされていて、尚円がクーデターを起こしたぐらいに亡くなったとされる。晩年は穏やかに過ごしたと言われる。