小野道好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
小野道好
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄12年4月7日1569年5月3日
別名 政次、但馬守
戒名 南江玄策沙弥
墓所 天王社(浜松市北区引佐町井伊谷 二宮神社内)[1]
供養搭(浜松市北区引佐町井伊谷)[2]
主君 井伊直盛直親直虎今川氏真
氏族 称・小野氏
父母 父:小野政直、母:不詳
兄弟 道好朝直
不詳
男2人あり[3]

小野 道好(おの みちよし)[4]は、戦国時代武将遠江国引佐郡井伊谷国人井伊氏家老として仕えた。名は小野 政次(おの まさつぐ)[注釈 1]とも伝わる。

生涯[編集]

遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊直盛の家老を務めた小野政直嫡男として誕生。天文23年(1554年)、父が病死するとその家督を継承する。父・政直は井伊一門である井伊直満(直盛の叔父)らと対立し、これを謀殺するなどした奸臣として知られており、直満家の脅威であった政直の死により、信濃国へ亡命していた直満の子・直親が帰郷し、直盛の養嗣子の座に収まっている。

永禄3年(1560年)5月、井伊氏は主家にあたる今川氏の西上軍に従うが、今川軍は桶狭間の戦い織田信長に大敗を喫し、井伊直盛も戦死する。直盛は死ぬに先立ち、小野氏が再び専横する事を懸念して、井伊氏の分家筋である中野直由に直親の後見するよう遺言しており、直盛の祖父・井伊直平はこれに従って直親の後見役とした。なお小野家でも道好の弟・朝直と、一族とみられる小野源吾が討死している。同12月[注釈 2]、朝直の舅でもある井伊氏親類衆の奥山朝利を暗殺した[5]

一方、隣国三河国では徳川家康が今川氏を離反し、今川氏を破った織田氏と同盟を結んだ。この頃になると直親も徳川氏に心を寄せ、密かに内通していたという。道好と直親は、父同士が因縁もあり関係は不仲だった。道好は井伊谷を横領しようと画策していたとされるが、直由が後見役に収まっていたために果たせずにいた。そこで直親の内通を知った道好は、永禄5年(1562年)に駿府今川氏真に直親が織田・徳川氏に内通して今川に謀反を起こそうとしていると訴えた[6]。氏真は直親追討の軍を挙げようとしたため、直親は氏真へ陳謝するために駿府へ向かうが、途中の掛川にて今川氏家臣の朝比奈泰朝によって殺害された[7]。道好は氏真の命を奉じて直親の遺児・虎松(後の井伊直政)も討たんとしたが、井伊氏に近い今川家重臣・新野親矩によって阻まれた。その後、永禄6年(1563年)には井伊直平が死去し、永禄7年(1564年)には中野直由が戦死した。井伊谷を預かっていた直由が亡くなり井伊谷城が無主となったため、井伊氏は直盛の娘である次郎法師(井伊直虎)を当主とした。

永禄11年(1568年)、甲斐国武田信玄が今川氏の本国・駿河国に侵攻した。これに際して道好は駿府で今川軍に従っていたが、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢するよう氏真より命じられる。道好はその命を奉じて井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を横領する事となった。虎松や次郎法師、直盛後家の祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺に入って難を逃れている。だが徳川家康は道好の専横に対し、近藤康用鈴木重時菅沼忠久井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。道好は敗北して井伊谷から退去し近隣に潜伏していたが、永禄12年(1569年)家康の堀川城攻撃の際に見つけ出され、4月7日、井伊谷城東方の井伊谷川付近にて獄門により処刑[2]。5月7日、道好の子2人も処刑された[3][8]

「奸臣説」に対する疑問[編集]

井伊家伝記』では井伊谷を横領した「悪役」として描かれる道好であるが、夏目琢史は著書で『井伊家伝記』が書かれた江戸時代、徳川氏が絶対的で批判のできない存在となっており、小野氏を悪役に仕立てることで徳川氏・井伊谷三人衆・井伊氏の大義名分を確保した可能性や、当時の井伊氏家臣団の間に深刻な内部対立があった影響である説を指摘した[9]。また井伊家が「横領」のために結果として徳川とも今川とも対峙することなく身の安全を確保できたことは都合が良すぎ、浜名氏が家康の遠江侵攻に際し、側近の大矢氏に後を任せて逃亡したのと同じようなことが起きていたのではないかと推察した[10]

大石泰史は通説とされてきた道好の「専横」を疑問視しており[11]、根拠として、『井伊家伝記』では永禄11年12月の武田信玄による駿河侵攻以後に横領が始まったとされるが[12]、それを止めた井伊谷三人衆による徳川の引込はほぼ同時期でありそのような行動を取る時間的余裕がないこと、さらに家康入国のわずか1か月前である同年11月9日に直虎が井伊谷徳政の文書を発給し井伊家の当主代行者として政務を取り行っているため、この時点で道好が勝手なふるまいはできなかったはずだとしている[11]

但馬明神[編集]

江戸時代初頭に書かれた『中井家文書』では、井伊氏に切腹を申し渡された但馬守(道好)が死後悪霊となり、中井与惣左衛門の子孫に祟りをもたらしたため、これを祀り、「但馬明神」と呼ぶよう託宣を受けたとの伝承が紹介されている[13]。この神社は井伊谷の二宮神社で、2017年現在但馬明神は同神社内の天王社に合祀されている[1]

関連作品[編集]

  • おんな城主 直虎2017年NHK大河ドラマ、演:高橋一生〈少年期:小林颯〉) - 設定名は小野但馬守政次(鶴丸)。主人公の幼馴染で、メインキャラクター。
  • 剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎(2012年11月、高殿円作、文藝春秋)- 設定名は小野政次。予知能力を備えた主人公・直虎との間の確執と執着が主軸のファンタジー時代小説。

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 「政次」のは当代史料には見られないが、末裔に伝わる系譜史料に見られるという。
  2. ^ 『井伊年譜』では永禄5年(1562年)12月。

出典[編集]

  1. ^ a b 『NHK大河ドラマスペシャル るるぶおんな城主直虎』 JTBパブリッシング2017年、68頁。ISBN 978-4-533-11601-8
  2. ^ a b 「政次終焉の地」井伊谷川付近に思いはせ 住民らが命日法要(地元紙の記事から 中日新聞 2017年4月8日)”. 浜松市役所 (2017年4月24日). 2017年7月16日閲覧。
  3. ^ a b 『南渓過去帳』龍潭寺
  4. ^ 寛政重修諸家譜』『井伊年譜』による。
  5. ^ 『龍潭寺文書』龍潭寺。
  6. ^ 千葉志「相次ぐ一族・家臣の死と、直虎登場の背景とは?」(歴史と文化の研究所 2017, p. 46)
  7. ^ 千葉志「相次ぐ一族・家臣の死と、直虎登場の背景とは?」(歴史と文化の研究所 2017, p. 47)
  8. ^ 夏目 2016, p. 103.
  9. ^ 夏目 2016, pp. 97-102.
  10. ^ 夏目 2016, pp. 101-105.
  11. ^ a b (大石 2016, pp. 208-209)
  12. ^ 大石 2016, p. 140.
  13. ^ 夏目 2016, pp. 104-105.

参考文献[編集]

参考史料[編集]