小野殿

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小野殿(おのどの (1527年大永7年)? - 1573年天正元年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。近江国戦国大名浅井久政正室浅井長政京極マリアを生んだ。名は阿古といい、「阿古御料」とも称された。

生涯[編集]

近江国の豪族伊香郡井口(現・滋賀県長浜市高月町井口)の土豪)の井口経元の子として誕生。井口氏は、富永庄総政所を主宰する荘官であり、高時川右岸を灌漑する伊香郡用水を管理していた「井頼り」でもあった。

近江国の浅井亮政の子・浅井久政に嫁いだ。なおこれは、高時川の用水をめぐり各岸を代表する浅井氏(左岸の代表者)と井口氏(右岸の代表者)の融和を目的とした婚姻でもあり、これにより浅井氏領国の不安定要素を取り除くことに成功し、浅井氏の最大の経済基盤であった小谷城下の生産を安定させている。

1544年天文13年)頃、家督を継いだ夫・久政が六角氏に臣従すると、17歳で人質として観音寺城へに赴く。1545年(天文14年)には同地で子の浅井長政を生んだ。また1546年(天文15年)2月24日に受戒したといわれる(『徳勝寺受戒帳』)。

その後、子の長政が家督を継承し、六角氏から独立して戦国大名として勢力を拡大させるが、婚姻関係にあった織田信長と対立。1573年(天正元年)9月19日織田氏によって捕らえられ、十指を数日の間にじわじわと切断され、死亡したといわれる。(『嶋記録』)