小脇義秀

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小脇 義秀(こわき よしひで、1970年5月8日 - )は、日本武術家愛国思想家、法制史家、右翼活動家。本姓は源。兄は元お笑いタレントの小脇健次

自顕一刀流第十三世宗家。剣名は瑞舟齋(隠居して、隠師義雲齋)。

生前戒名は、泉信院正縁随義居士。ペンネームは菊水護国、藤川一郎、富士川一郎。

政治団体正道國士會事務局長。日本会議正会員。財団法人昭和聖徳記念財団会員。日本のこころ党員。

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経歴[編集]

昭和45年5月8日、東京都葛飾区に生まれる。

平成元年5月8日、自顕一刀流第十二世藏舟齋より、一国一人の道統を授かり、十三世宗家を継承し、瑞舟齋と号す。

平成元年8月頃、新右翼の活動家野村秋介に弟子入りを頼むも「君は私の色をつけるな。君ほどの人間なら、君独自のなすべきものがある。私たちは師弟ではなく義兄弟になろう。」の言葉を授かり、感銘を受ける。

平成2年2月11日、同志6人で平成維新の會を旗揚げする。

平成3年5月8日、自分の誕生日を期し、平成維新の會を母体に、さらに発展させ同志20名にて、平成勤皇党を旗揚げ、自ら党首につく。

平成5年6月末、思想に発展を加えるために、誘われるままに、「冨士大石寺顕正会(当時)」に入信。

平成5年10月、義兄弟・野村秋介の自決により、平成勤皇党党首を辞任する。その後、数年間、野村秋介の死を引きずり、仏教に専念する。

平成11年4月、同会会長浅井昭衛日蓮正宗法主の血脈断絶発言に疑念を感じ、会長宛に直接質問状を送付する。

平成11年5月13日付けをもって、冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛名義で、当会除名通知が内容証明にて送付されてくる。

平成11年6月10日、冨士大石寺顕正会との関係を清算したのを契機に、平成勤皇党顧問に就任する。

平成12年8月、日蓮正宗に入信、M講に所属する。同時に同信徒でもある霞会館所属の旧公家Y氏の勧めに従い、政治結社鳳凰正義塾を立ち上げ、旧平成勤皇党を解散し、自ら塾長に就任する。

平成14年、M講内でささやかれる玉体誹謗の言に耐えきれず幹部と話すも、どうしても左翼的な言動に違和感を覚える。

その後、鳳凰正義塾顧問山﨑喜代志(旧華族)の仲介により、日蓮正宗妙縁寺を紹介され、住職故光久日康常布院日康贈上人)に相談をすると「我が宗派はそのような國體を誹謗する宗派じゃありませんよ。君のような尊皇心が深い方は、今の環境はつらいでしょうから、私の元へ来なさい」と言葉をもらい寺院移籍。

平成14年8月、山﨑喜代志とともに、同寺三師塔建立に功があったとして、日蓮正宗妙縁寺住職故光久日康常布院日康贈上人)より、泉信院正縁随義居士の生前戒名を授かる。

平成20年2月11日、同志が政治団体正道國士會を結成、事務局長に就任する(同日、鳳凰正義塾を解散)。

平成29年4月29日、自顕一刀流の道統を第十四世茉舟齋に譲り、隠師義雲齋と号す。