小笠原長功

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小笠原 長功(おがさわら ながかた、天保10年(1839年) - 没年不詳)は、幕末の旗本小笠原氏8代目当主(唐津藩分家、中島陣屋3,000石)。父は酒井忠文(忠丈、隠岐守、旗本2,000石、大番頭を務めた)で、小笠原長常(軽鴎)の養子となった。

万延元年(1860年)4月3日小納戸となり、同年12月16日に布衣を着することを許され刑部と称す。文久2年(1862年)坂下門外の変で老中安藤信正が失脚し旧井伊大老派の力が弱まり、同派に属した養父長常は書院番頭を罷免され隠居謹慎処分となり、11月20日養父から家督を継いだ。文久3年8月24日使番、同年12月20日目付元治元年(1864年)6月22日小納戸と歴任し、慶応3年(1867年)1月29日大坂町奉行に就任し従五位下織部正に叙任された(のち伊勢守に還任)。

参考文献[編集]

  • 『新編岡崎市20史』(総集編)