小笠原貞寧

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小笠原 貞寧
時代 江戸時代後期
生誕 天保5年6月26日1831年8月3日
死没 安政3年8月9日1856年9月7日
別名 益之助(通称)
戒名 良義院殿実演玄相
墓所 東京都台東区松が谷の海禅寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定
豊前小倉新田藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原貞哲、母:酒井忠寧の娘
兄弟 貞謙貞寧貞嘉
養子:貞正
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小笠原 貞寧(おがさわら さだやす)は、豊前小倉新田藩(千束藩)の第8代藩主。

生涯[編集]

天保2年(1831年)6月26日、第5代藩主・小笠原貞哲の三男として江戸で生まれる。嘉永7年(1854年)6月5日、弟で第7代藩主となっていた貞嘉(忠嘉)が本家小倉藩の藩主・小笠原忠徴世子となったため、代わって小倉新田藩主となった。安政3年(1856年)6月6日、隠居し、養子貞正に家督を譲った。その直後の8月9日に死去した。享年26。