小田守治
ナビゲーションに移動
検索に移動
| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
|---|---|
| 生誕 | 弘治3年(1557年) |
| 死没 | 慶長15年2月17日(1610年3月12日 |
| 別名 | 通称:彦太郎 |
| 主君 | 小田氏治→結城秀康→松平忠直 |
| 氏族 | 藤原北家八田氏流小田氏 |
| 父母 | 父:小田氏治 |
| 兄弟 | 友治、守治、重治、駒(結城秀康室) |
| 子 | 経治、善治 |
小田 守治(おだ もりはる)[1])は、戦国時代の武将。常陸小田氏の一族。小田氏治の嫡男。通称・彦太郎。長男ではないが、兄友治が庶子の為に、守治が家督を継いだ。
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため、所領を没収された。その後、妹が結城秀康の側室になっていた縁からこれに仕えた。関ヶ原の戦いの後、秀康が越前への転封となると、これに従った。