小田久栄門

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小田 久榮門小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年11月28日 - 2014年10月30日)は、日本テレビプロデューサー

テレビ朝日にて編成局長、取締役情報局長を歴任後、テレビ朝日映像代表取締役社長BS朝日代表取締役社長を務めた。

当時同局に在籍していた皇達也と共に、テレ朝の天皇の異名で知られた[1]

新潟県出身。専修大学卒。

人物・経歴[編集]

専修大学卒業後、1958年に日本教育テレビ(NETテレビ。後のテレビ朝日)に入社。主に報道畑を歩む。1973年、プロデューサーに昇格後は、制作部、編成部、編成部長、報道局次長を経て、1986年、編成局長。1989年、取締役に昇進し、1992年には情報局長となるものの、1993年、取締役を退任。1997年にテレビ朝日映像代表取締役社長、1998年にBS朝日代表取締役社長に就任した。

1960年代には『木島則夫モーニングショー』のワイドショー番組等を手がけ、報道局次長時代の1985年10月には久米宏の『ニュースステーション』、編成局長時代の1987年に田原総一朗の『朝まで生テレビ!』といったテレビ朝日の看板報道番組となる番組を立ち上げたほか、『サンデープロジェクト』、『ザ・スクープ』、『シリーズ真相』等を企画・統括した。

略歴[編集]

  • 1958年4月 - 株式会社日本教育テレビ(現・株式会社テレビ朝日)入社
  • 1986年 - 全国朝日放送株式会社(現・株式会社テレビ朝日)編成局長
  • 1989年 - 同社取締役編成局長
  • 1992年 - 同社取締役情報局長
  • 1993年 - 取締役を退任
  • 1997年 - テレビ朝日映像株式会社代表取締役社長
  • 1998年 - テレビ朝日映像取締役会長
  • 1998年12月15日 - 株式会社BS朝日代表取締役社長
  • 2001年 - 株式会社BS朝日取締役会長
  • 2002年 - 同社取締役相談役
  • 2003年3月31日 - 同社取締役相談役退任
  • 2014年10月30日 - 肝がんのため死去した[2]。78歳没。

著書[編集]

関連書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 自著『テレビ戦争勝組の掟』のBOOKデータベース等に記述(参考
  2. ^ 「テレ朝のドン」小田久栄門氏が死去 SankeiBiz(サンケイビズ) 2014年10月30日閲覧