小狐丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
『月耕随筆 稲葉山小鍛治』尾形月耕謡曲の「小鍛冶」を題材としている

小狐丸(こぎつねまる)は、平安時代に作られたとされる日本刀太刀)である。同名複数の刀剣が存在するが、本項では三条宗近作と言い伝えられている日本刀を中心に説明する。

概要[編集]

藤原氏伝来していた名刀とされており、三条宗近による作品とする説が濃厚とされる[1]。この小狐丸は平安時代末期には九条家にあり、鎌倉時代後期になると鷹司家にあったとされているが後に逸失している[2]

大阪府東大阪市石切剣箭神社では、宗近作と言われる小狐丸が所蔵されており、4月の春大祭と10月の秋大祭の時に同神社に収蔵されている三条派有成作の石切丸と共に一般公開される[3]。石切剣箭神社収蔵の小狐丸は、刃長が約53.8センチメートルと脇差サイズであることから、上記の藤原氏伝来の太刀とは別物ともいわれる[3]。しかし、折り返し銘が施されている[注釈 1]ことから、本来は現存の物よりも長かったと考えられている[3]

また、石上神宮にも小狐丸と名付けられた太刀があり、2018年9月時点で奈良県の有形文化財に指定されている[4][5]。この刀の伝来は、江戸時代末期に垂仁天皇陵を盗掘した盗人が小狐丸を盗み出し、その刀を鷹司政通に売り込んだ[2]。政通は不審に思って調査したところ刀は盗品であることが分かり、盗人は磔刑に処され刀は政通によって石上神宮に奉納されたことによる[2]。ただし、銘には「義憲作」と切られていることから古備前派の義憲によって作られたものとされている[2]

伝説[編集]

謡曲の『小鍛冶』によると、時の帝、一条天皇から守り刀を作るよう命ぜられた橘道成は、京の名工として知られる三条宗近に作刀を依頼した[注釈 2][2][7]。しかし、宗近は満足のいく刀を打てず困り果て、氏神である稲荷明神に詣でて祈願しようとした道中に童子と遭遇し、童子は「安心してください。私が相槌を打ちましょう。」と言うと消え去ってしまった[2][7]。宗近は不思議に思いながらも作刀の準備を始めると童子に化けていた稲荷明神が現れて、宗近と共に太刀を作った[7]。完成した太刀を見ると素晴らしい出来合いであったため、宗近は「小狐丸」と名付けたとされる[7]

ただし、『小鍛冶』は室町時代に成立した物語であり、橘道成という人物も橘氏系図に現れる人物ではないため史実かは疑わしいとされる[2]。だが、小和田泰経は、一条天皇は道長の岳父である関係から、一条天皇が逝去した際に道長へ下賜された可能性はあると指摘している[7]

参考文献[編集]

  • 小和田康経 『刀剣目録』 新紀元社、2015年6月12日。ISBN 4775313401NCID BB19726465 
  • かみゆ歴史編集部編集 『物語で読む日本の刀剣150』 イースト・プレス、2015年5月20日。ISBN 9784781680026NCID BB18681317 
  • 赤井達郎『「寺と社」-古寺社への道-』講談社 1984年
  • 邦光史郎『「伝説とその舞台」-幽玄と不思議の世界-』講談社 1984年

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「折り返し銘」とは、磨上げなどで茎が短くなり、銘がなくなってしまう場合に、反対側に折り曲げて銘を残すことを指す[3]
  2. ^ 宗近は元々刀工ではなく、従四位下橘仲道の次男であり、従六位上信濃大掾に任ぜられた官人である傍ら、余暇に作刀を行っていたとする伝承がある[6]

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 福永酔剣 『日本刀大百科事典』 2巻 雄山閣出版、1993年11月20日、234頁。ISBN 4639012020NCID BN10133913 
  2. ^ a b c d e f g かみゆ歴史編集部 2015, p. 56-57.
  3. ^ a b c d 石切劔箭神社(大阪府東大阪市) - 刀剣ワールド2019年11月17日 閲覧
  4. ^ ご由緒【宝物】 - 石上神宮2019年11月17日 閲覧
  5. ^ 奈良県指定文化財一覧 - 奈良県(PDF版)2019年11月17日 閲覧
  6. ^ 常石英明 『日本刀の歴史 古刀編』 金園社、2016年5月10日、38頁。ISBN 9784321346528NCID BB21381049 
  7. ^ a b c d e 小和田 2015, p. 31.

関連項目[編集]