小治田安萬侶の墓

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史跡碑(左)と発掘地(右上)

小治田安萬侶の墓(おはりだのやすまろのはか)は、奈良県都祁村甲岡(現・奈良市都祁甲岡町)で発見された奈良時代官人である小治田朝臣安萬侶の火葬墓で、1969年昭和44年)11月29日に国の史跡に指定された[1]

概要[編集]

小治田 安萬侶(おはりだ の やすまろ、生年不詳 - 729年3月13日神亀6年2月9日)没)は、文武から聖武まで4代の天皇に仕えた官人で、蘇我稲目の後裔にあたる。『続日本紀』には719年(養老9年)に正五位上に叙されたとの記事があり、亡くなった時の位は従四位下であった。

1912年(明治45年)、茶畑開墾中に偶然木が発見され墓誌3枚が出土した。1951年(昭和26年)に改めて発掘調査が行われて火葬墓であることが確認された。

墓地は都祁水分神社がある丘陵の南斜面につくられており、墓誌の他に木櫃と副葬品の三彩の壷、銀製の和同開珎須恵器土師器が出土したほかに、双獣双鳳文鏡1面も同墓の出土品として伝わっている[2]。火葬は墓のすぐ近くで行われ、木櫃は1辺約3.6メートルの正方形の穴の中に炭とが敷かれた上に置かれていた。

なお、同じく墓誌が発見されている太安万侶は、名前が同一であるが別人である。同時代の文官ということもあって、よく混同される。

墓誌[編集]

金銅小治田安万侶墓誌、東京国立博物館所蔵(重要文化財)。

墓誌は金銅製で、1957年(昭和32年)6月18日に国の重要文化財に指定された[3]銘文は以下の通り。

左琴神亀六年二月九日

右京三條二坊従四位下小治田朝臣安
萬侶大倭國山邊郡都家郷郡里崗安墓
   神亀六年歳次己巳二月九日 

右書神亀六年二月九日

左琴と右書の銘文が内側に向かうように、木櫃の中の両側に立てかけられていたと言い伝わっている。

アクセス[編集]

バス
奈良交通バス「来迎寺」停留所にて下車し北へ徒歩10分弱
名阪国道針インターより国道369号線経由約15分

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 小治田安萬侶墓 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年7月6日閲覧。
  2. ^ 奈良国立博物館保管
  3. ^ 金銅小治田安万侶墓誌〈銅製小板二枚共/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年7月6日閲覧。

参考書籍 [編集]

関連項目[編集]

座標: 北緯34度35分48.3秒 東経135度56分56.8秒 / 北緯34.596750度 東経135.949111度 / 34.596750; 135.949111