小池勇二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年明治41年) - 1977年昭和52年)12月7日)は、日本技術者工学者電気工学者、電子工学者。元松下電器産業東京研究所所長テレビジョン学会名誉会員東北大学名誉教授

略歴[編集]

1926年大正15年)に新潟中学校を卒業、1931年(昭和6年)に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業、日本放送協会技術研究所に入所、調査と設計に従事[1]、送信用の大出力真空管を開発[2]1938年(昭和13年)にπ型回路の簡易な設計法を発表[注 1]

1941年(昭和16年)に日本放送協会技術研究所を退所、東北帝国大学工学部助教授に就任、通信工学科および東北帝国大学工学部附属電気通信研究所において研究に従事[1]

1942年(昭和17年)に日本軍シンガポールを占領した際に入手した、イギリス軍の対空射撃レーダーに関する書類(『ニユーマン文書』)を日本語に翻訳[4][5][注 2]

1944年(昭和19年)に東北帝国大学工学部教授に就任、東北大学附置電気通信研究所助教授の西澤潤一[注 3]を評価、「大学の外に半導体研究拠点を設立して、ノーベル賞を取れるような研究をしろ」と激励、半導体研究振興会の設立を援助[1][6][7]

アメリカ合衆国スタンフォード研究所に留学、東北大学工学部に電子工学科を創設する事を決意[8]1958年(昭和33年)に東北大学工学部電子工学講座を担任[1]、翌年の1959年(昭和34年)に東北大学工学部に電子工学科を設置[2]

1962年(昭和37年)に松下電器産業社長の松下幸之助パナソニック創業者)の懇願で松下電器産業東京研究所所長に就任[1][2]名古屋大学工学部電子工学科助教授の赤崎勇[注 4]を評価、松下電器産業東京研究所研究室室長として招聘[9][10][11]

1966年(昭和41年)に松下電器産業取締役に就任、1971年(昭和46年)に松下技研[注 5]社長に就任、中波大電力放送機と超短波送信管の設計理論の研究に成果をおさめて放送技術の発展に貢献、1975年(昭和50年)にNHK放送文化賞を受賞[12]

著作[編集]

翻訳[編集]

監修[編集]

  • 『固体物性論概説』(吉田重知[著]、近代科学社、1959年)
  • 『光電装置』(和田正信[著]、近代科学社、1959年)
  • 『量子力学統計力学序説』(本多波雄桂重俊[著]、近代科学社、1960年)
  • 『気体放電 気体電子工学の基礎として』(八田吉典[著]、近代科学社、1960年)
  • 『真空管』(和田正信[著]、近代科学社、1960年)
  • 『自動制御理論』(福島弘毅[著]、近代科学社、1960年)
  • 『半導体装置』(西澤潤一[著]、近代科学社、1961年)
  • 『演算電子回路学』(松尾正之[著]、近代科学社、1961年)
  • 『放電管』(八田吉典[著]、近代科学社、1962年)
  • 『半導体材料学』(西澤潤一、宮本信雄[著]、近代科学社、1968年)
  • 『制御電子工学』(菊地正山田蓁[著]、近代科学社、1969年)
  • 『電子工学基礎論』(和田正信[著]、近代科学社、1971年)

遺稿[編集]

  • 『漠空 小池勇二郎先生遺稿集』(漠空会、1978年)

論文[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この設計法を基に日本放送協会新郷放送所の技術者の島山鶴雄がπ型回路を世界で最初に放送機の出力回路に採用[3]
  2. ^ レーダーに日本では評価されなかった八木・宇田アンテナが使用されている事が判明。
  3. ^ 2000年平成12年)に静電誘導型トランジスタの開発でエジソンメダルを受賞。
  4. ^ 2014年(平成26年)に青色発光ダイオードの開発でノーベル物理学賞を受賞。
  5. ^ 松下電器産業東京研究所の後身、2001年(平成13年)に松下電器産業先端技術研究所に統合。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連文献[編集]

外部リンク[編集]