小林米作

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小林 米作(こばやし よねさく、1905年7月15日 - 2005年11月6日)は、記録映画カメラマン映画プロデューサー

十字屋映画部から日本映画社、戦後は東京シネマで科学映画の撮影を担当。顕微鏡を使用した撮影を得意とし、自ら、プロダクションを立ち上げ、多くの科学映画を製作した。その間、国際賞・国内賞含め、数々の賞を受賞した。長男の小林武史と、次男の小林健次はヴァイオリニスト。

経歴[編集]

十字屋映画部から日本映画社[編集]

顕微鏡撮影のパイオニアとして[編集]

日本映画社から東京シネマ[編集]

  • 1955年岡田桑三が前年に設立した東京シネマに入社[1]
  • 1956年映画の日・特別功労賞。
  • 1958年、撮影を担当した、東京シネマ製作・吉見泰脚本の『ミクロの世界 -結核菌を追って-』がヴェネツィア記録映画祭最高科学映画賞、国際科学映画協会モスクワ大会名誉賞などを受賞。
  • 1960年、『マリン・スノー —石油の起源—』(東京シネマ)の撮影担当。国際科学映画祭名誉賞受賞。

ヨネ・プロダクションとして独立[編集]

  • 1967年、ヨネ・プロダクションを設立[1]
  • 1970年、『アレルギー』(ヨネ・プロダクション)パドヴァ大学科学映画祭ブロンズ牛頭賞。
  • 1974年、科学技術映画製作功労賞 視聴覚教育功労顕賞。
  • 1998年、『脳と潰瘍』(ヨネ・プロダクション)の製作担当。科学技術映画祭優秀作品賞、ベルリン医学映画祭グランプリ受賞。
  • 2005年11月6日、死去[3]

出典[編集]

外部リンク[編集]