小林稔 (物理学者)

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小林 稔(こばやし みのる、1908年明治41年) - 2001年平成13年))は、日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。日本で最初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の中間子論建設に協力する。1949年(昭和24)年11月3日深夜、新聞社からの電話で湯川秀樹のノーベル賞受賞の報に接した京都大学総長鳥養利三郎は、すぐに大学として記念事業を行うことを思い立った。この事業について、京都大学物理学教授荒勝文策と共に京都大学基礎物理学研究所の構想を立ち上げ設置した[1]。退官するまで湯川秀樹博士、基礎物理学研究所をささえるとともに京都大学物理教室の原子核理論研究室を主宰した。小林研からは集団運動理論の高木修二、高田健次郎、山村正俊、核力の大槻昭一郎、玉垣良三、永田忍、坂東弘治、赤石義紀、少数多体理論の笹川辰弥、クラスター理論の池田清美、大久保茂男、加藤幾芳、ハーパー核理論の元場俊雄らが出ている。物性理論の真木和美、沢田克郎、生物物理の寺本英、素粒子論の片山泰久、倉辻比呂志も小林研である。

出典[編集]