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小林栄三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こばやし えいぞう

小林 栄三
生誕 (1949-01-07) 1949年1月7日(75歳)
日本の旗 日本福井県三方上中郡若狭町(旧上中町
出身校 大阪大学基礎工学部物性物理工学科卒業
職業 経営者
団体 伊藤忠商事株式会社
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小林 栄三(こばやし えいぞう、1949年1月7日 - )は、日本実業家。現在伊藤忠商事特別理事(2018年 - )。

略歴

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生い立ち

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1949年1月7日、父・文雄、母・千秋の三男として、福井県三方上中郡若狭町(旧上中町)で生まれた。福井県知事を5期20年務めた中川平太夫は伯父(母の兄)にあたる。気丈な母から「あたふたしない」「懐を深く」という心のあり方を受け継いだ。

高校は、福井県立若狭高等学校を卒業。当時の同校は、全国でも稀な『縦割りホームルーム制』を採用しており、「学年や学科の枠を超えたクラスメートとの活発な交流」によってコミュニケーション能力が鍛えられた。「人と会って話すのが趣味」であり、「人をポジティブにとらえる人間観」や「多様な個性を束ねて目標に突き進むリーダーシップ」の基礎は高校時代に培われた。

大学は、大阪大学基礎工学部物性物理工学科を卒業。高校~大学時代、人あたりがよく、『来る者拒まず』であったので、家や下宿には、毎日のように友人・知人が集い、議論が交わされた。そして人間関係を何より大切にする『人間力学』を学んだ。[1]

伊藤忠入社、その後

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1972年、「理系出身ながらモノより人に興味」があり[2]、商社を選んで、伊藤忠商事入社。

電子機器部電子機器第二課を振りだしにエレクトロニクス、情報産業、IT、インターネット事業創生記に活躍。1976年から1980年まで香港支店勤務のあと、1982年には伊藤忠エレクトロニクス(株)に出向。1986年から1994年までロサンゼルスに駐在。帰国後は情報産業・メカトロシステム部でコンピュータ・情報機器の販売に従事、1999年から2002年にかけて情報部門長を務めた[要出典]

明確な指示、強力なリーダーシップで部門内をまとめ、インターネットの普及にともない世の中でeビジネスへの関心が高まるや、全社横断的組織「ネットの森」の“番人”として、各カンパニーにおけるネットビジネスのスピーディーな立ち上げを支援する陣頭指揮に自らあたった[要出典]

1999年、子会社・伊藤忠テクノサイエンス(CTC)(現在の伊藤忠テクノソリューションズ(株))の上場で中心的な役割を果たした。折しも不良資産の一括償却などで約4000億円の特別損失を計上し、伊藤忠商事が財政面でどん底だった時期に、CTCは2000年3月期だけでも連結で1606億円の株式売却益をグループにもたらした[要出典]

2000年執行役員、2002年常務執行役員に就任。2002年には経営企画・財務・経理・審査担当役員補佐(経営経理担当)(兼)チーフ インフォメーション オフィサー(兼) SI・リテール室長(兼)ネットの森番人。2003年には経営企画・事業・総務・法務担当役員(兼) チーフ インフォメーション オフィサーとして全社の経営企画に携わってきた。同年6月、常務取締役。2004年4月から専務取締役を務め、同年6月、取締役社長に就任。2010年4月、会長に就任[要出典]

2022年、旭日重光章受章[3][4]

主張

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  • 愛情は大切です。僕はいつも愛情の反対語は無関心だと言っています。無視こそがコミュニケーションの最大の敵です。いかなるときも関心をもって人に接していくことが大事です。[5]
  • 社員にはいつも夢を持てと言っています。まず、それがなければダメです。そして、次に夢をビジョンに落とせ、そのビジョンを戦略に落とせ、戦略を戦術に落として実践しろと言っています。[6]
  • 商社の強みは、世界と日本、或いは企業と企業を「つなぐ」力にあります。商社ビジネスは、ある意味で「川の流れをつくること」です。川上に供給があり、川下に需要があり、川中に物流や金融があって、商社にはそれらをつなぐ力がある。[7]
  • 人口が減る中で、どうやって地方を活性化させるのか。これまでの取り組みは「点」で捉えることが多かった。自分の町や村のことだけを考えがちだが、それだと活性化にはなかなかつながらない。今後は広域で捉える「面」の発想が必要だ。例えば観光。私の出身地の福井県には東尋坊や恐竜博物館があるが、1度行くと次はなかなか足を運んでもらえないのが実情だ。京都が観光地として強いのは、寺社が集積して面になっているからだ[8]

社会的活動

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出典

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  1. ^ 「勉強よりも”人間力学”」嶺南ジャーナル2004年5月 第73号
  2. ^ 「今、若者たちへ~君に伝えたい私の経験(第48回)」NIKKEIアドネット
  3. ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日
  4. ^ 令和4年春の叙勲 旭日重光章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月15日閲覧。
  5. ^ 「ある詐欺師から学んだ大事なこと」 PRESIDENT 2010年3月15日号
  6. ^ 「トップの証言:目をそらさない覚悟」PRESIDENT 2008年8月18日号
  7. ^ 「いよいよ切迫「人口減少」 「内なるグローバル化」に活路FACTA online
  8. ^ 地方創生、点より面の発想で 小林栄三氏 2016/8/25 3:30日本経済新聞 電子版
  9. ^ “経済同友会、副代表幹事に岡本・日生会長ら”. 日本経済新聞. (2011年12月16日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1601V_W1A211C1EE2000/ 
  10. ^ “行革推進会議の有識者メンバーに小林伊藤忠会長ら9人”. 産経ニュース. (2013年2月15日). https://web.archive.org/web/20170202081124/http://www.sankei.com/politics/news/130215/plt1302150014-n1.html 
  11. ^ “貿易会会長に伊藤忠・小林氏”. 日本経済新聞. (2014年2月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXNNSE2INK01_V00C14A2000000/ 
  12. ^ “日銀参与に小林・伊藤忠会長”. 日本経済新聞. (2015年6月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGC04H0A_U5A600C1EAF000/ 
  13. ^ “日本中央競馬会経営委員会委員の任命について”. 日本中央競馬会. (2015年9月1日). http://jra.jp/news/201509/090101.html 
  14. ^ “日本食品売り込みへ新組織”. 日本農業新聞. (2017年4月2日). https://www.agrinews.co.jp/p40520.html 
  15. ^ 【全法連】全法連新会長小林栄三氏にインタビュー「日本の未来ためにも80万社の会員企業を元気にしたい」
先代
丹羽宇一郎
伊藤忠商事社長
2004年 - 2010年
次代
岡藤正広
先代
槍田松瑩
日本貿易会会長
2014年 - 2018年
次代
中村邦晴
先代
池田弘一
全国法人会総連合会長
2017年 -
次代
(現職)
先代
澤田浩
日本・トルコ協会会長
2018年 -
次代
(現職)